【CJC=東京】キリスト教界内外のメディアが精力的に教皇フランシスコのスリランカとフィリピン訪問を報じた。
教皇は12日、ローマのフィウミチーノ国際空港からアリタリア航空特別機で出発、13日午前、第一の訪問国スリランカのコロンボ国際空港に到着、アジア歴訪を開始した。同日夕方(日本時間夜)には、9日に就任したばかりのマイトリパラ・シリセナ大統領と会談した。26年間にわたる内戦や国民を二分した大統領選を経たスリランカ社会の融和を呼び掛けた。
空港で開かれた歓迎式典では内戦からの復興に触れ、「インフラ整備だけではなく、全ての人の尊厳や人権を尊重することが重要だ」とあいさつ。「回復には真実の追究が必要。古傷をえぐるのではなく、正義や団結を高めるためだ」とも語った。
教皇は14日、激戦地だった北部マドゥーを訪問し、国民和解を呼び掛けた。
今回のスリランカとフィリピン訪問は、イタリアを除くと教皇フランシスコの海外司牧訪問としては7回目、アジア訪問は昨年8月の韓国に続き2回目となる。またスリランカを訪れた教皇は、1970年のパウロ6世、81年と95年のヨハネ・パウロ2世の2人。
空港で行われた歓迎式のあいさつで、教皇はその自然の美しさから「インド洋の真珠」と呼ばれ、人々の温かさ、さまざまな文化・宗教の豊かな伝統で知られるスリランカを訪れた喜びを表した。教皇は、スリランカ訪問の第一の目的を、同国のカトリック信者を励ますという司牧的な性質のものとし、滞在中の中心行事として、民族・宗教の違いを乗り越えてキリスト教的愛徳を実践した福者ヨセフ・ヴァズの列聖式を行う旨を説明した。
教皇はこの訪問のもう一つの目的は、長い内戦終結後に平和を模索するスリランカとその国民に対するカトリック教会の愛と関心を表すためと話した。教皇はまた、さまざまな伝統宗教の信者たちは、この難しい和解と再生のプロセスにおいて、本質的な役割を担っていると述べ、全ての人の声が生かされ、互いの違いを受け入れ尊重できる一つの家族のような社会の実現を希望した。
教皇はスリランカ訪問を経て、15日にフィリピン・マニラ空港に到着した。フィリピンはアジア最大のカトリック国、教皇の訪問は20年ぶり。この日も台風接近で強い雨と風に見舞われたが、被災者は「復興の心の支えになる」と熱烈に迎えた。
ベニグノ・アキノ3世大統領は16日、マラカニアン宮殿で開かれた教皇の一般接見で演説した際、フィリピン政府とカトリック司教協議会の関係について言及、マルコス独裁政権を打倒したアキノ政変(エドサ革命、1986年)で枢機卿らが重要な役割を果たしたことを強調した。一方で「アロヨ前政権の悪政を前に、聖職者らは突然沈黙した」とし、さらに現政権発足後は「沈黙から一転、一部の聖職者は批判対象を探し求め、私の頭髪にまで口出しし始めた」と述べ、教皇の面前で一部司教らを批判した。
17日午前、教皇は2013昨年の台風30号(ハイエン)で最も大きな被害を受けた中部レイテ島のタクロバンを日帰りで訪れ、今年の台風1号(メッカラ)による豪雨の中、大勢の生存者らと共に犠牲者数千人を追悼する野外ミサを空港近くで行った。タクロバンは前夜から雨となったが、空港近くでは約15万人がレインコートを着て出迎えた。風速約36メートルにも達した中で野外ミサを行った教皇は、「神は決して皆さんを見捨てません。いつもそばにいます」と語り、被災者に寄り添った。教皇の現地到着から約30分後に始まったミサも時間が短縮された。教皇はその後、がれきが残る島内を車で南下し、高潮被害がひどかったパロ市の教会を訪れた。教皇の訪問は予定よりも4時間早く切り上げられ、教皇はマニラへ戻った。
教皇は18日、マニラで大規模な野外ミサを主宰した。雨の降りしきる中、歴代教皇が開いたミサとしては過去最多の600万人が集まった。95年に当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が同じ場所で行ったミサに集まった500万人という記録を超えた。教皇も群衆の数に驚いたようで、付き添いのマニラ大司教によると、「純真な人々の信仰の深さは私にも測り知れない」と語ったという。
教皇は19日朝にローマへ向けてマニラ空軍基地からフィリピン航空特別機で出発した。