阪神・淡路大震災が発生してから、17日で20年を迎えた。国内の観測史上初となる震度7(マグニチュード7・3)の大地震が兵庫県南部を襲い、死者6434人、住宅被害約64万棟、被害総額約10兆円と、甚大な被害をもたらした。
神戸市中央区の東遊園地では、午前5時から「阪神淡路大震災1・17のつどい」が始まった。「1・17」の形に並べた竹灯籠にろうそくが灯され、地震発生の午前5時46分には黙祷がささげられた。また、神戸市出身の音楽教諭・臼井真さんが復興への願い込め作詞・作曲した「しあわせ運べるように」を、福音歌手の森祐理さんが独唱。午後からは、東日本大震災の犠牲者を追悼するため、竹灯籠を「3・11」の形に変え、東日本大震災が発生した午後2時46分、また午後5時46分に再び黙祷の時を持つ。震災20年を覚えるこの集いでは、午後9時までさまざまな催しが続く。
震災で当時大学4年生だった弟を亡くした森さん。「失望を希望に変えたい」と、多くのボランティアの協力を得て、震災発生から約2カ月後、日本福音ルーテル西宮教会(西宮市宮西町)で「希望の翼コンサート」を開催した。その後、1997年まで30回余りにわたって同コンサートを被災各地で開催し、被災地の人々を慰めた。自身が親善大使を務める日本国際飢餓対策機構のニュースレターでは特別寄稿を寄せ、「瓦礫の中や炊き出しの列の前で歌ったことが昨日のように思い出されます」と震災20年を振り返っている。
「弟の命が土台となり、天国への希望を届ける熱意となっていることを思うと、死は終わりでなく、地に撒かれた種として何倍もの実を結ぶものだと改めて思わされています」と森さん。「20年の節目を迎え、この世での命が終わる日まで、弟の命の分までも託された使命を全うしていきたいと、決意を新たにしています」と、寄稿で語っている。
17日午前には、HAT神戸・なぎさ公園(神戸市中央区)で行われる「ひょうご安全の日のつどい」で出演するほか、午後にはピフレホール(同市長田区)で行われる第20回阪神大震災メモリアル集会でも歌う予定だ。
震災時に生まれた子どもも、今年でちょうど20歳を迎える。「1・17のつどい」は今年、神戸市の成人の祝いと連携しているという。「震災時に生まれた子どもも20歳を迎えたと報道で読み、時の速さに驚きます」と語るのは、奈良県生駒市にある生駒聖書学院の榮義之学院長。震災の朝、下からズンと突き上げるような衝撃を感じ、飛び起きたという。ニュースで地震の大きさを知り、神戸から来ていた神学生の家も半壊する被害に遭った。その日の夕方、近くの生駒山に登ると、神戸方面が真っ暗な中、所々で火が燃えているのが見えたという。被災者の守りと平安、そしてこの災害がどんな形であれ益となるよう、山の上で祈りをささげたという。
榮氏の母校でもある同学院は今年で創立86年。現在の土地に建てられたのは、死者10万人余りを出したといわれる関東大震災(1923年)のためだという。創設者の英国人宣教師レオナード・W・クート氏は、当時横浜で宣教活動をしていたが、震災で全てを失い関西へ移住。そのため現在の生駒の地に聖書学院が建てられることになった。また、榮氏が生まれ育った種子島の鴻之峰(こうのみね)は、桜島の噴火で村を失った人々が移り住み、切り開かれた土地だという。
故郷、母校共に「大災害」がそのはじめにあった榮氏。「東日本大震災、御嶽山噴火など、さまざまな出来事がどう益になるかは軽々しく言えませんが、阪神大震災の中を神戸まで歩きながら、復興と回復を祈ったことを思い起こしながら、すでに大きな祝福が注がれ、阪神地区にリバイバルの足音を感じる記念日です」と言う。
17日は、被災地域の教会、キリスト教主義学校でも、震災20年を記念した追悼礼拝やミサ、行事が多数予定されている(関連記事:阪神・淡路大震災、きょうで20年 教会やキリスト教大学でも追悼礼拝やミサ、コンサートなど)。また、地元の神戸新聞が市民団体のまとめとして伝えたところによると、一般市民による追悼行事は110件に上り、過去最多。正午には、100を超える教会や寺院が鐘を鳴らし、神戸港に入港中の船が一斉に汽笛を響かせるという。
神戸市は、市が保有する阪神・淡路大震災の発生直後や復旧・復興の様子を捉えた写真約1000枚を、オープンデータとして公開。特設サイトを設けて一般に広く公開することで、20年の節目を機に、震災の経験や教訓を継承しようとしている。