あなたには、この世に遣わされた神様の目的があります。その目的を知り、自分には何が足りないのか、今自分はどこに向かっていくべきなのかを知らなければいけません。
イスラエルの民は、カナンの地に向かうことを示されていました。そのことをしっかりとらえていたモーセは、民をカナンの地近くまで連れて行き、後をヨシュアに引き継がせました。その間に脱落した人たちは誰でしたか。神様がカナンの地に連れていくとおっしゃっているのに、「敵は強く、大人数だ」とか「自分たちが小さく、負けてしまう」と不平不満を言って、神様の約束を信じ切れなかった人たちです。
私たちの受けるべきすべての呪いは、イエス様が負われました。ガラテヤ3章13節にある通り、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました」ので、私たちはのろいの中にはありません。「このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人」(14節)、つまり私たちのところに来ています。ですから、私たちの人生は、祝福されたものと決まっています。「わざわいでない、平安であり、将来と希望あふれるもの」と確定しているのです。
神様の約束を信じ切った人は、その祝福を体験していきます。しかし信じ切れない人は、そうではありません。いつまでも目の前にある問題だけにとらわれてはいけません。クリスチャンとは、神様がおっしゃることを信じる者たちなのです。
ですから、神様の約束を知ったのならば、もうお答えはいただいているのです。今からがんばって答えを得なければならないのではありません。私たちは、最後の答えをすでに得ています。このまま行けば、天に行くことは間違いないのです。「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」(エペソ2章6節)
私たちは、天に行くのです。私たちの体はこの地にありますが、すでに霊は天に行っています。天につながっていますから、その天国を心の中で味わっていくのです。
イエス様を信じるとは、イエス様の姿を想像することではありません。白い服を着て、サンダルを履いたイエス。ベルトをして、金髪のイエス。それをイメージして「イエス様、あなたを信じています」と言うことではありません。イエス様を信じるとは、イエス様のみことばを信じることです。イエス様を信じていると言いながら、いろいろな問題について心配しているならば、あなたの中に矛盾が生じています。なぜなら、みことばを信じた人は、心配しないからです。
なぜアブラハムは祝福を受けたのに、彼の子孫は400年間奴隷にならなければいけなかったのか。それは、アブラハムが神様の言葉を受け取らなかったからです。あなたが疑っている間は、祝福を味わうことはできないのです。
みなさんも神様を信じて、さまざまなことを祈っているでしょう。祈って、答えを受け取るでしょう。しかし「神様、祈りに答えてくれてありがとう」と言うだけの生活で終わってはいけません。神様はもっと先のことを見ておられるのです。
■ 神があなたに望まれていること:(1)(2)(3)(4)(5)(6)
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徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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