2000年のキリスト教の歴史の中で、諸教会が教派を超えた相互理解と対話、そして一致を目指す「エキュメニズム教令」の発布50周年を記念し、日本のカトリック教会と日本聖公会、日本福音ルーテル教会の3教会による合同礼拝が11月30日、東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂で行われた。各教派から集まった600人を超える信徒が「いつくしみと愛のあるところ」をテーマに、心を一つにして祈り、神を賛美。カトリックと聖公会、ルーテルの3教会によるこうした礼拝は世界でも例を見ず、歴史的ともいえる試みとなった。
「エキュメニズムに関する教令」は、第二バチカン公会議(1962〜65)が掲げた主要な理念の一つである「キリスト者間の一致」について、カトリック教会が信者のあるべき姿勢を提示し、教会の刷新とエキュメニズムとの密接な関係を説き、実践を具体的に示唆した教令。20世紀は「エキュメニズムの世紀」と呼ばれたほど、グローバルかつローカルにその大きな運動が起こり、今日に至るまで、諸教派間の対話に大きな影響を与えてきた。
礼拝に先立って行われたシンポジウムでは、日本ルーテル神学校校長の江藤直純牧師が司会を務め、カトリックからは上智大学神学部長でイエズス会の光延一郎司祭、日本聖公会からは立教大学副総長の西原廉太司祭、日本福音ルーテル教会からは日本ルーテル神学校校長の石居基夫牧師がパネラーとして参加。各教派の立場からエキュメニズムに対する視座や現時点での合意事項、今後の課題などが語られた。
カトリックの光延司祭は、「今日このとき、教皇フランシスコはトルコのイスタンブールを訪問しています。イスタンブールは昔はコンスタンティノープルと呼ばれた東方正教会(ギリシャ正教)の総本山。そこで、向こうの大司教と意見交換をしています。東方でそのような大きな出来事が起きている今、さらに東の果ての日本で諸教派が一致して話し合いの場を持っているということ自体が素晴らしい」と前置き。先々代の教皇ヨハネ・パウロ2世が1995年に発布した回勅「キリスト者の一致」の中に、「キリストを信じる人々は共に結ばれ、十字架についての同一の真理を手を取り合って告白しなければならない」とあることなどを例に、「ローマ・カトリックの教皇はエキュメニズムに対して強い使命感と責任感を持っていることをひしひしと感じる」と強調した。
その上で、「全ての教派が自分たちこそ真理の継承者である、主の弟子であると公言しつつ異なる道を歩んでいることはキリスト自身が分裂しているかのようであり、明らかに福音に反し、宣教の妨げになっている」と指摘し、「キリスト教とは国家、民族、人種を超えた価値観である」とエキュミニズムの重要性を訴えた。
次にマイクを握った日本聖公会の西原司祭は「ローマ・カトリックと聖公会が合意し得ていないものはもはやありません」と述べ、三位一体や使徒信条、新約聖書の多様であり適切な読み方、それぞれの洗礼の有効性などを具体例として挙げた。ただ、「一つの聖餐を分け合うことだけは実現していません」として大きな課題が残っていることにも言及。その上で、「人権の尊重、戦争の否定、貧困や環境問題に対する認識など現実的な諸問題について一致し、国際社会に発言していくことの意味は大きい」とエキュメニズムの意義を強調した。
一方、日本福音ルーテル教会の石居牧師は、「(西方教会の)教派の分裂は16世紀にルターが宗教改革を行ったことがいちばんの原因」とした上で、「キリストの証人としてのルターを共同して確認し、信仰の学びを深め、歩みを一つにしていくことが重要」と強調。エキュメニズムについて、「単に異なる教派が仲良くするということではなく、一つのキリストを証し、一人ひとりがキリストの体として働いていることをおろそかにしない。宗教改革以降、500年もの間、断罪し合ってきた教会の歴史を改め、互いに断罪し合うのではなく、教派を超えて一つのキリストに結び付けられた者としてお互いが承認し合うことが大切だ」と述べた。
最後に、司会の江藤牧師(日本福音ルーテル教会)が「日本の各地でそれぞれにエキュメニズムを進むことができますように」と総括。「世界で最初の3つの教会による礼拝に心を新たにして臨みましょう」と呼び掛け、合同礼拝に移った。
合同礼拝はペトロ岡田武夫・カトリック東京大司教とアンデレ大畑喜道・日本聖公会東京教区主教、大柴譲治・日本福音ルーテル教会総会副議長の共同司式で執り行われ、3教派が一つのキリストに結び合わされることを示すため、最初にそれぞれの司祭・牧師が一つの洗礼盤に水を注いだ。第一朗読(イザヤ書11章10節〜)は聖公会の信徒が、第二朗読(エフェソの信徒への手紙4章1節〜)はルーテル教会の信徒が読み上げ、間に歌われる聖歌も各教派の聖歌隊が祭壇脇に順番に登壇。それぞれの教派から集まった信徒全員が声を合わせて歌い、会堂を振るわせた。第三朗読の福音は、イエズス会の高柳俊一司祭がヨハネによる福音書17章20〜26節を読み上げた。
説教を取り次いだ徳善義和・日本福音ルーテル教会牧師は、「私たちがきょう、このアドベントに入った第一主日の夕べにここに集まったのは、『いつくしみと愛のあるところ』に神がおられるからである。そしてまた私はその逆、つまり、神がおられるところにこそいつくしみと愛がある、ということもまことだと信じている。きょうの福音で、イエスは受難と死の時を前に、『父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください』『わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです』と祈ってくださっていることからも分かるように、キリスト者が一つの群れになることこそがイエスの最期の願い。この祈りの中には主の痛みが、受難が含まれていることを思いながら、このエキュミニズムの歩みに対し、神に感謝する時が来ている。私たちは一つになるためのこの歩みを続けていかねばならない」と訴えた。
「一致の典礼」では、カトリックの岡田大司教が「真の意味のエキュミニズムは、内的な回心なしにはありえない。事実、新しい精神、自己放棄、豊かな惜しみない愛から一致への望みが生まれ、成熟する」という文言に始まる「エキュメニズム教令」の一部を朗読。共同祈願の後には、3教派の補式者が手にした復活のろうそくから手元のろうそくに火を移し、「キリストの光を世界に輝かせ、世界がキリストの光に照らされ、その隅々にまでキリストの平和が広がる」ことを共に祈った。
続く「平和の挨拶」では、司式者の「主の平和が共にあるように」という呼び掛けに、「また、あなたとともに」と応じた会衆が教派を超えて「主の平和」と笑顔で呼び掛け合い、握手を交わす姿が見られた。
信仰宣言は会衆全員で「ニケア・コンスタンティノープル信条」を朗読。カトリック・聖公会の共通訳による主の祈りを唱えた。礼拝では聖体拝領(聖餐)はなかったが、代わりに3教派の司式者が会衆全員に向かって祝福を行い、感謝のもとに閉祭した。
合同礼拝には駐日ローマ教皇大使であるジョセフ・チェノットウ大司教をはじめ、3教派から多く来賓が参列した。宗教改革500年となる3年後の2017年には、ルターゆかりの地として知られるドイツのヴィッテンベルクで、カトリック教会とルーテル世界連盟(LWF)による合同礼拝が行われる予定。今回初の合同礼拝を行った3教派は、3年後には日本でも再び合同礼拝を行いたいとしている。