関西セミナーハウス(京都市左京区)で8日、日本クリスチャン・アカデミー主催のフォーラム「日本は暗い時代に向かっているのだろうか? 集団的自衛権、特定機密保護法について考える」が、元外交官で文筆家の佐藤優氏を招いて行なわれた。
佐藤氏は冒頭、「確かに日本は暗い時代に向かってるがまだ決定的ではなく修正可能です。しかしキリスト教からの対応は全くもってずれており、1920年代以降キリスト教界がやってきたのと同じ間違いを繰り返している」と語り、「現在の日本における最大の問題は反知性主義。実証主義や客観性を否定し、自分の理解したいように世界を理解しようとしている。安倍政権のしていることはまさにそうだと思う。その中でなぜキリスト教徒が政治に興味を持つべきか?それは世界を表層ではなく深層まで掘り下げると見えるものがあるからだ」と話した。
反知性主義について佐藤氏は、「近代以前、古代中世において神は天にいると考えられていた。しかし、ガリレオ、コペルニクス以降、それはもはや信じられなくなった。19世紀の神学者シュライエルマッハーは、宗教とは直感と感情、後期は絶対依存と言い、直感や感情で主体を心に置き換え、心を通じて神様に祈るようになった。つまり、心の時代とは実は近代的な現象。しかし危険もある。自分の内面と身体の動きを神と一体化してしまう危険です」と語った。
その上で、「ナショナリズムも心の中にある。それが実証されたのが第一次世界大戦。理性を用いて科学技術を発展させ、理想的な社会を作り上げようとしたが、その結果起きたのが世界大戦だった。そこで自由主義神学が崩壊し、カール・バルトが出てきた。バルトは神は上にいると言った。それは形而上学ではなく、心の中にいることへの対比だった」と述べた。
「バルトや私が研究してきたチェコの神学者ヨゼフ・フローマトカが本質を突いている。宗教は生活の全てである。われわれの仕事、勉強、生れてきたこと、今日ここに来たことも宗教の一環。その本質は、自分の力を他者のために使うことです。こういう考え方を持っている人は、政治の世界もまた他人事ではない。世の中のことに対応して何かをしなければ、と考える。だからキリスト者は政治にも興味を持つのです」と話した。
この日のテーマである特定秘密保護法については、この法案自体よりも2013年に安全保障会議設置法が改正され、国家安全保障会議(日本版NSC)が設置されたことが本質的な問題だと解説した。日本の安全保障に危機的な事態があるときに戦争をするかを決める安全保障会議が設置されたことで、これまで専守防衛だった日本に戦争ができる体制ができてしまったとして、「戦争をする以上、軍事機密保護が必要となる。だからこそ特定秘密保護法案が必要となった。そこを外しての特定秘密保護法案批判は意味がない。この法案では、防衛大臣や外務大臣が適正情報対象になっていない。つまり、国民が国会議員を通してコントロールができなくなる。それが最大の問題だ」と指摘した。
一方で、集団的自衛権の解釈については、むしろこれによって自衛隊派遣が難しくなったという。「例えば安倍総理の説明では、ホルムズ海峡に機雷が敷設されたとき、自衛隊を派兵して掃海艇派遣ができると言っている。しかし、公明党はできないと言っているが、これは後者が正しい。ホルムズ海洋のタンカーは、実はオマーンの領海を航海している。国際法では他国の領海に機雷を敷設し、これに掃海艇を派遣することは宣戦布告になる。つまり、掃海艇派遣はオマーン側に立って宣戦布告をすることになる。現実的にそのようなことは不可能だ」として、これらの法案の本質を見た議論が必要であり、「私も学生時代に神学の基礎教育で表層ではなく深層を見抜くことを訓練されたことが外交官時代に大変役に立った」と、同志社大学神学部時代の恩師の教育に触れながら解説し、組織神学の重要性を力説した。
また、「時代は確かに暗い方向に向かっている。それは心の問題を公共圏に持ち込もうとしていることが最大の原因。安倍総理はまさにそれを進めている。知性の言葉が通じない。知性や知識自体を憎んでいるから。政治的、言論的にそのような傾向を排除しなければいけない。これにどう対応するか」と問い、キリスト教界、神学のあり方についても触れた。
「創価学会は公明党として民主政治に回路を持っていた。しかし、日本のキリスト教は現実的に今からそれをやることはできないと私は思う。日本ではキリスト教が土着化することに失敗したから。それをどう成り立たせるかは組織神学的な課題だ」として、「私が同志社大学神学部時代に研究したチェコのフローマトカは、『神学のフィールドはこの世界である』と言った。プロテスタント神学においては、教理は即倫理であり、倫理は即教理である。信仰があれば行為はなくていい、ということではない。信仰が即行為である。だからカトリックのように信仰『と』行為ではない。プロテスタントにおいては、信仰が即行為であるということだ」と話した。
また、「信仰は決断ではない。人間の決断など大きな力、危機の前にはぼろぼろになる。決断を元に信仰や神学を組み立てた20世紀の神学者F・ゴーガルデンはそこからナチス・ドイツのイデオロギーに取り込まれていった。むしろ、信仰は"伝染""伝播"だ。ペトロもパウロもイエス・キリストの生き方が伝染し、それにより生き方が変わった。キリスト者として、与えられたそれぞれの場でそれぞれの課題に向き合い生きることが大切だ」と締めくくった。
その後は会場の人々からの質問に答える形で進み、佐藤氏は会場から寄せられた約40に及ぶ質問に一つ一つに答えた。
現在の国際政治情勢をどう見るか、という質問については、「世の中のシステムを陰謀論で読んではいけない。国際政治も人間も"複雑系"で成立している。特定秘密保護法案にしても、集団的自衛権についても、国民に実態を公開して、憲法を正々堂々と改正するよう図るべき。そしてそれを国民がどういう形で監視できるかの制度構築を議論しなければならない」と話した。
在特会など排外主義が日本で強まっていることをどう思うか、という質問には、「排外主義者は必ず社会の一部に存在する。そこには言葉が通じないし、説得もできない。論理が通じないから。だからそれを封じ込めつつ、自らが排外主義に陥らないようにしなければならない。これは公共圏をどう築くかという問題だ」として、哲学者J・ハーバーマスを引用しながら公共圏の構築のあり方をめぐる議論の必要性を説明した。
また、母が沖縄戦で手榴弾で自決を強いられた経験を持つ佐藤氏は、沖縄問題にも触れた。本土にいて沖縄のために何ができるでのか、という質問には、「具体的に月4000円のお金を出せるなら沖縄の地元新聞を取って、沖縄の情報空間に触れること。何が沖縄の人を怒らせているか内在的論理について触れ理解しようとすることです。沖縄の怒りは本土の人には伝わっていないが大変なものとなっており、既にスコットランドの独立問題より深刻になっている。まずは知ることから始めてはどうか」と述べた。
教育については、「大学や日本の教育の状況は相当悪い。大学の学費が上がり、親の経済力が子どもの教育、ひいてはキャリアに直結するような時代になりつつあるが、それは避けなければならない」として、知性や信仰には先生が必要、厳しい教育を経て何十年もかけて知性や教養は身についていくもの、と危機感をあらわにした。さらに、現在検討が進められている道徳の教科化については、「本質はそこにはない。教科書を変えれば人間が変わる、という発想自体がおかしい。それに対抗するには、学校の教師一人ひとりがキリスト教的な生き方、価値観を身をもって示すことで対応していくべきだ」と述べた。
この他、ウクライナ紛争やイスラム国などに関する熱心な質問に答え、3時間半にわたるフォーラムは幕を閉じた。