「死刑を止めよう」宗教者ネットワークと聖エジディオ共同体・日本が作る実行委員会の主催で、「共に死刑を考える国際シンポジウム いのちなきところ正義なし 2014」の2日目「死刑といのちを考える」が10月25日、YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区)で開かれた。
3部構成のシンポジウム2日目第1部では、聖エジディオ共同体、People & Religions 事務総長のアルベルト・クァットルッチ氏が、同共同体を代表してあいさつした。
クァットルッチ氏は、このシンポジウムのテーマについて、「死刑が日本でなくなり、地球上から死刑がなくなることを期待している。この世界は正義を必要としているが、その正義とは本当の正義でなければいけない。平和、最も弱い人、そして過ちを犯した人においてもそのようなことがなされなければならない。日本語で正義という言葉は倫理的な価値があり、全ての人類に価値がある。正義とともに『いのち』という言葉は、全ての人間を育む価値という意味だ。だから正義といのちは深い関係を持ち、どちらか一つでは成り立たない。いのちがないところ、そこに正義はない」と述べた。
また日本の文化について、「日本ではこのスローガンが広まっていくような感じがする。死刑をなくして、それによって悲しむ人々が減少していくようにしたいと思う。いのちを大切にする日本の文化の中に、死刑があるということはそぐわないと思う。日本の文化が担ってきたいのちを愛する文化こそが、アジアそして世界に広まっていくべきだ」と語った。
その上で、「さまざまなエネルギーとか力とか団体とか友達がいるが、皆さんが力を合わせて一緒になって手をつないで一つの目標に向かって進んでいけるようになると思う。悲しむ人々と共に働くNGOが日本にも多くある。だから、このような困難な世界だが、私たちは平和へのエネルギーを集結して、皆さんと一緒に全員が手をつないで世界をよりよくするように働いていきたいと思う。私たち聖エジディオは皆さんとともにありたいと思う」と、世界的な連帯への展望を語った。
続いて、世界宗教者平和会議日本委員会の畠山友利事務局長があいさつし、「宗教者が共にこうしたいのちの尊厳、また死刑制度といった問題に、世界のさまざまな価値観の中で、やはり対話を進めることによって、取り組みを展開させていただけたらと思う。今後、共に手を携えてこうした問題に取り組ませていただきたい」と述べた。
そして、10月23日に行われたシンポジウム1日目に続いて、イタリア下院議長で同院人権委員会議長のマリオ・マラッツィーティ氏が再び基調講演を行った。
マラッツィーティ氏は、「2年前から私は皆さんの多くの方々と協力して働いてきた。日本において死刑が昔の無用の長物となることを求めている」と語り始めた。
同23日にローマ教皇が死刑を非難したことに触れ、同氏は「ローマのフランシスコ教皇がこれについて宣言をした。全ての人々ができるかぎり死刑を廃止するように働いてくださいとおっしゃった。刑務所の状況をもっと人間的な状況にしてほしい。それは、ローマ教皇が世界に向けてしたアピールだ。このアピールも私たちに拍車をかけてくれる」と述べた。
そして、「私たちも同盟を結ぶ人が増えてきた。死刑廃止連合というものが2002年に誕生したが、それは聖エジディオ共同体の本部で集会があり、13のNGOが集った。その12年後、150ものNGO団体が参加して、もうヨーロッパのものではなく、世界の死刑廃止連盟になった」と述べた。
「もう一つ良い知らせがある」とマラッツィーティ氏は続けた。「1965年、20カ国だけが死刑を廃止していた。今日、死刑を廃止した国、または死刑を執行していない国の数を数えると、141カ国になった。2千年さかのぼる人類の歴史の中でそういうことは一度も起きたことがない。全ての国はいろいろな方法で死刑というものを実施してきた。ということは、世界の歴史が変わってきているということだ。これはとても良いニュースだと思う。日本は火星にいるわけではなくて、日本も地球の中にいるのだ。日本も地球の一員としてそれに関係してくるのだ。この数年の間に死刑を廃止した国々でさえ、廃止の1年前は廃止することはできないと言っていた。でもそうではなかった」
「だから世界というのは動いている。止まっていない。国民の多くが死刑について問題視していなかった国もある。だから現実というのは表面的に見るものとは異なるのだ。だから私たちの闘いも勝利を迎えることができる」と現実を変える可能性を指摘した。
その上で同氏は、「では、いま何が起きているのか?世界は考えを変えつつあるのだ。人々の安全を守るために、正義を守るために、応報の原理に基づく、人を殺害することに基づく正義なしでも正義を行うことができるということを感じ始めてきている。国は殺人を行う人のレベルに自らを引き下げてはいけない。日本でもそのようなことが言えると思う」と述べた。
日本の死刑制度に関する法案ついては、「衆議院の法務委員長と私は会った。他の政治家たちとも会ったが、死刑の代わりとなる罰則・刑罰を提案する法律を提案しようとしている。例えば、死刑を宣告するときに裁判員が全員一致しなければいけない。また提案の一つに、死刑について皆で考えるために3年間一時停止をしておいて皆で考え直そうということがある」と説明した。
そして同氏は、「裁判というのは全く完璧ではない。袴田さんのケースがあるように、私たちの祈りとか、弁護士の方々の努力、そしてお姉さんの愛によって、いろいろな要素が重なって、袴田さんのケースがこのように浮かび上がってきた。袴田さんのケースが示すように、日本においても司法の完璧性というのはあり得ないのだ。裁判が決して過ちを犯さないという保証はない。だから、決して、えん罪そして処刑された場合に、もう元に戻すことができない、そのような罰則を科すことは不可能だと思う。社会全体が死の中に入っていくようなものだ。私は日本がいのちを大切にする美しい日本であってほしいと思う。日本というのは的確さを愛し、そして正義も愛している国だ。なぜなら間違ったことは必ず後で訂正する国だからだ。日本は世界に教えている。優しさ、繊細さ、そのようなものは極刑である死刑とは相容れないものだと思う」と述べた。
また、「今日の私たちの集会では、私たちの中にこの問題とか活動方針、この闘いを勝ち抜くための方針を一緒に考えていきたいと思う。そして、世界中の方々があなたたちの味方となっているのだ。あなたたちは孤独ではない。私たちはこの何年間で学んだことを皆さんと分かち合いたいと思う。世界中の人たちはどの国でも絶対に変えることができないと思っていたのだ」と、日本の参加者を励ました。
その上で、「おいしい寿司を食べないうちは、生の魚というものはまずいと思っている。ところが一度味わってみると、それが素晴らしいということが分かってくる。体験しないことは分からない。私たちがここでやっていることは、死刑の全ての停止、そして将来的には死刑の廃止を実現するために、ネットワークを作ることだと思う。自分の団体のアイデンティティを持ったまま、もちろん自分のやり方を続けながらも、その団体が手をつないでネットワークを作っていったら、闘いはより力を得ていく」と語った。
そして、「袴田さんにはもっと長生きしていただきたいと思うが、袴田さんが生きていらっしゃる、そのことだけが皆さんの助けになっていると思う。なぜかというと、正義というものはいのちを守っていかなけれならない、その証人だからだ」と結んだ。