4月29日、オクラホマ州は、2000年に当時19歳のステファニー・ナイマンさんを誘拐、暴行した上、銃で撃って生き埋めにした罪を認めたクレイトン・ロケット死刑囚の死刑を執行した。ロケット死刑囚の死刑は午後6時23分に始まり、彼に薬物が注入された。薬物注入の33分後、執行が一時中断された。しかし、午後7時6分、ロケット死刑囚は心臓発作で死亡が確認された。後の文書によると、毒物の量が死刑を執行するに十分ではなかったということだ。2つ目の死刑がその夜、ロケット死刑囚の後に予定されていたが、延期となった。
ロケットの死刑執行の失敗により、死刑が道徳的に正しいのかという長年の議論が全米で再燃した。アメリカで死刑を最初に導入したのはイギリスからの入植者たちで、彼らは当初窃盗犯も反逆者も同様に絞首刑にしていた。1846年、ミシガン州が死刑を規制した最初の州となる。その後多くの州がその例に従い、どの犯罪が極刑に値するかについても独自に規制するようになった。
長きにわたり死刑に反対する声は根強いが、科学技術のおかげで犯罪者の命を奪う新しい方法――電気椅子の発明、ガス室、最近では薬物注射――が次々に開発されるにつれて、賛成の声が高まることはよくあった。死刑がアメリカで再導入されてから約40年になる今日、2013年のギャロップ社の調査では、アメリカ人の60パーセントが現在殺人犯の死刑を支持している(この数字は過去40年で一番低い数字である。一番高かったのは1994年で、回答者の80パーセントが賛成した)。
アメリカ人の多くは極刑を許容しているが、福音派や保守派のキリスト教徒の間ではこの問題にコンセンサスはほとんどなく、死刑制度を擁護していてもこの方法は必ずしも理想的ではないと認めるような状況だ。
囚人への宣教を行う団体「プリズン・フェローシップ」の創設者で、それまで長きにわたり死刑制度に反対していたキリスト教思想家、故チャック・コルソン氏が2004年、自身の立場の転換を表明した。コルソン氏は、死刑がアメリカで行われている方法には極めて憂慮し、かつ死刑が実際に抑止力として役に立つかについては疑いを抱いているものの、正義と慈悲という観点から最終的に自身の考えを変えることになったという。
「このような難しい倫理的な問題の輪郭を定めるのは楽しいことではありませんが、キリスト教徒のコミュニティーとしては、気が進まなくても、聖書に基づいて正義の基準をはっきりさせる必要があります」と彼は書いている。「極刑はその妥協を許さない基準の一部だと考えるようになりました。道徳的義務のため、政府は犯罪を罰する必要があります。そして結果的に、非常に条件を規制した上でですが、極刑を執行する必要があるのです」
「人間とは間違いを犯す存在でありつつ、正義のために取り組み続けるものです。しかし、制度が完璧でないとしても、クリスチャンとしての課題の一部は、我々を取り囲む文化に対し、行動を起こせば――この世で、そして、来たる世で――結果が伴うということを思い出させることです」と彼は結論付けた。
南部バプテスト神学校学長のアルバート・モーラー博士は5月初旬、CNNの「なぜクリスチャンは死刑制度を支持すべきか」という論説で、自身の死刑制度賛成の立場を明らかにしたが、「死刑を執行する仕方における経済的、人種的不正」など現状の欠点も指摘し、また「法そのものに偏りはないとしても、死刑の執行にはしばしば偏りがある」ことも認めた。
「死刑が正しく、そして稀にのみ執行されて、道徳的に意義を持つような社会を、クリスチャンは希望し、そのために祈り、努力するべきだと思います。被告の権利もしっかり守られて、さらに殺人者の社会的地位が犯罪の処罰を決定するようなことが決してない社会です」とモーラー博士。
「クリスチャンは被告が確実に有罪であると、疑いの残らないようにしなければなりません。極刑を行う理由が正義であって単なる復讐ではない社会となるよう祈るべきです」とモーラー博士は述べた。
モーラー博士は、「ノアに対して人間の尊厳を明らかに認めたように、神は殺人罪に関しては死刑をお認めになった。我々の仕事はそのことを我々の隣人にもわからせることです」と語って、自身のコラムを締めくくったが、保守派のキリスト教徒全員が彼のように声高に死刑を支持しているわけではない。
キリスト教保守派の週刊誌『ワールド』は昨年、総編集長のマービン・オラスキー氏が6人以上の死刑囚と対談し、聖書に描かれた極刑とアメリカの極刑を対峙するという複数回にわたるシリーズを掲載した。編集長の結論は一体何か。
「極刑は間違ってはいないが、執行猶予なしの終身刑でも充分代替が可能」と、オラスキー氏は昨年11月30日、この問題についての最後のコラムで書いた。彼はこの問題について、「どちらの立場も聖書に根拠を求めることができる問題だが、念入りな研究によって聖書的な結論を導くことは可能――ただし、意見の相違は残るだろう」と書いた。
オラスキー氏よりもさらに踏み込んで、死刑に反対の立場を取る人々もいる。2013年、キリスト教保守派の弁護団体「法と正義のためのアメリカンセンター」(ACLJ)を率いるジェイ・セクロー氏は、「死刑に関心を持つ保守派」(CCDP)というグループを立ち上げ、保守政治活動協議会(CPAC)に昨年初めて参加した。
「保守派は、小さな政府、支出の無駄の削減、人命の尊重を忠実に行うため、死刑が実際どのように役立つのか問うべきです」と、セクロー氏はグループの立ち上げの際の報道発表で述べた。
またセクロー氏は、死刑は「それ自体違憲」ではないかもしれないが、彼は「道徳的観点と、命を奪うことは、最も重い犯罪であっても、犯罪に対処する相応しい方法ではない」と述べ、この言葉はCCDPのウェブサイトでも引用されている。
「罪の贖いの対象でない者がいるでしょうか?最終的な裁きを下すには慎重であるべきです。信仰が私に教える最も大事なことは、神を演じてはならないということです。死刑制度は救いのプロセス全体を簡略化していると思います。私はそのプロセスを止める人間にはなりたくありません」(続く)
■ クリスチャンは死刑を支持すべきか?:(1)(2)