死刑反対の立場を取る人々の中には、例えばブライアン・スティーブンソン氏がいる。彼はアフリカ系アメリカ人で、公民権や公益を扱う弁護士であり、自身のキャリアを通じて頻繁に死刑囚の弁護をしてきたクリスチャンだ。スティーブンソン氏は、アメリカの刑法制度一般を積極的に批判し、「実際の刑法制度の結果に影響している最大の要因は人種ではなく富だ」と指摘する。
「アラバマ州では、死刑になるような事件の場合でも、法的な援助が文字通り生死に関わる人たちにすら弁護士が与えられません」と、スティーブンソン氏は2012年のインタビューで語った。「今日12人以上の死刑囚がいますが、彼らは弁護士を雇えず、州も弁護士を与えないのです。死刑囚の半分は弁護士によって弁護されましたが、彼らも、制定法によって、法廷外で事件を扱っても千ドル(約10万2千円)以上は支払ってもらえませんでした。このことが、公正な信頼できる判決を得る妨げとなっています」
また、スティーブンソン氏はこの体制が無実の人々を死に追いやったと考え、批判している。
「実際に答えるべき問いは、『人は自分が犯した犯罪のため死に値するのか』ではなく、『これだけの率で誤りがあるのに我々は殺す権利があるのか』です」
AP通信が伝えたところでは、3月に発表された米国科学アカデミーの報告によれば、1973年から2004年までに、アメリカで死刑の宣告を受けた者の内、1.6パーセント――138人――が、無罪となり、釈放されたという。
しかし、全てのアフリカ系アメリカ人クリスチャンがスティーブンソン氏に同意するわけではない。今年早く、フロリダ州の牧師何人かが、自分たちのコミュニティー内で起こる犯罪に嫌気がさし、死刑が犯罪の抑止力となりえると提案した。
ジャクソンビル市にあるニューライフ教会のテレンス・キャロウェイ牧師は、「人命を尊重しない者に対して死刑は正当です」と主張する。
グレイター・ディメンションズ・チャーチ・フェローシップのケン・アドキンス牧師も、ファースト・コースト・ニュース紙に対し、「要するに黒人の命も大事だということです」と語った。「命を尊重しないなら、生きる権利はないと個人的には思っています」
アメリカ全体では、2013年のピュ―研究所の調査で、白人アメリカ人の内63パーセントが死刑を支持していることがわかった。対照的に、黒人アメリカ人の間では支持は36パーセントに留まり、ヒスパニックの間では40パーセントだった。
全米ラティーノ福音派同盟の代表ガブリエル・サルグエロ牧師は最近、死刑反対を表明し、「ラティーノのコミュニティには確かに殺人犯は許されないくらい多い」が、「ヒスパニック系福音派の主な懸念は、死刑制度がキリスト教的に『堕落した』制度の一部だということです」
サルグエロ牧師は、無実の者が死刑囚になること、人種と富による不公平な差があること、「死刑の薬物注射で使う薬物を販売ないという製薬会社の決定によって死刑が残酷になる」ということを、極刑を憂慮する理由として挙げた。
ミレニアル世代では例えば、フィラデルフィア州に拠点を置くグループ「シンプル・ウェイ」を創設したシェーン・クレイボーン氏や、南部パブテスト派牧師の息子であり人気作家でブロガーのジョナサン・メリット氏が、極刑に反対を表明している。
4月、クレイボーン氏は、極刑に反対する内容の本を執筆中、テネシー州の共和党員知事ビル・ハスラム氏に嘆願書を送り、死刑囚を何人か減刑するように訴えた。
2011年、クレイボーン氏は次のようにリーダーシップ・ジャーナル誌に書いた。「初期キリスト教徒たちの特徴は、残酷な悪、拷問、死刑に直面しても非暴力であったことです。特に、死刑にされ復活したキリストを信じる我々こそ、生命を守り、恵みを訴え、死に異を唱える者であるべきです」
「キリスト教の過去2千年の歴史は、死による中断にまみれています。福音派の多くは、十字架上のイエス自身の死も一つの中断であったと考えます(ローマ人への手紙6章23節:罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである)。通常の福音派的理解では、我々全員、イエスがいなければ、罪のため死刑となるに相応しいのです。こうして死を免れた我々がなぜそう簡単に他人に死をもたらす者になりえるのでしょう」
メリット氏は先日、ザ・アトランティック誌に掲載されたモーラー博士の記事「イエスは死刑を支持するだろうか」に答えて、中絶に関する主張では「生命尊重」の指標を使うクリスチャンが、死刑を支持するのは正しいことではないと、クリスチャンポスト紙に対し語った。
「テネシー州には福音派の議員で、死刑の方法として電気椅子を再び承認しようと画策している人たちがいます。これは死刑執行の方法としては、残酷で、野蛮な方法です。実際、ザ・アトランティック誌のコナー・フリーダーズドルフ氏などは、ギロチンの方が電気椅子よりもよっぽど人道的だと主張しています」とメリット氏は語る。
「彼らはクリスチャンとして矛盾しています。一方では、生命を守ると主張し、生命は聖なるものだと信じ、ただ善人だけではなく全ての人間の中に神の似姿を見ると言いながら、その一方、死の文化を擁護しているのです。私は生命を尊いと思うからこそ、死刑に反対です」
全人命に対して一貫した態度を取るべきだということが、『ワールド』総編集長のマービン・オラスキー氏の死刑に関する考えを変えさせた点だった。
「最初は私自身の軽い、ざっくばらんな反応だったことが、実際大問題だったのです。1970年代以降、全米で中絶件数は5千万件。それなのになぜテキサス州の500人の死刑執行にばかり目を向けるのか。後になって私は、500人であろうと5千万人であろと神の似姿として作られた人間をぞんざいに扱ってはいけないのだと悟りました」
■ クリスチャンは死刑を支持すべきか?:(1)(2)