【CJC=東京】バチカン放送(日本語電子版)によると、教皇のシノドス開始ミサでの説教の内容要旨は次のとおり。
今日のこのミサの聖書朗読ではイザヤ預言書も福音書も「主のブドウ畑」の象徴を利用しています。「主のブドウ畑」それは主の実現すべき「夢」です。それは農夫が自分の畑を心を込めて耕すように、その全ての愛を込めて実現しようとする主のご計画のことです。ブドウの樹というのは大変世話を必要とする樹です。
神の「夢」はその「民」です。神はその民が聖なる民となり正義の良い実を沢山結ぶようにと忍耐強い忠実な愛をもって植えつけ育てました。旧約の預言書においてもイエスのたとえ話においても神の夢は満たされませんでした。
イザイヤ預言者は言います「神が大きな愛を込めて育てたブドウの樹はただすっぱい小粒の実をつけただけでした」「神は正義を求めていたのに流血が、心の正しさを期待したのに圧迫された者たちの嘆きの叫びが」帰ってきたと。福音書においても農夫たちは神のご計画を破壊し、仕事をせずに自分たちの利益のみを追求します。
イエスはそのたとえ話をもって司祭長たちや民の長老たちに、いわゆる学者たちや指導者たちに向かって言います。神は彼らにこそ特別に「ご自分の夢」すなわち「その民」を耕し育て野生動物たちから守るようにと託されたのでした。自由と創造性と勤勉をもってブドウ畑を耕すこと、これこそ民の指導者たちの任務でした。
イエスは言います、しかし、あの農夫たちはブドウ畑を自分たちのものとし、欲と傲慢のためにやりたいほうだい勝手なことをして、ご自分の民として選んだ民についてのその夢の実現の可能性を神から奪い去るのです。
欲望に従おうとの誘惑はいつでも現存します。このことに関しては牧者たちについてのエゼキエルのあの偉大な預言の中にも見ることが出来ます。聖アウグスティーヌスはこの預言ついて解説しています。邪悪な牧者たちは自分たちのこの欲望を満たすために、自分たちでは指一本触れようともしない重荷を人々の肩に負わせるのです。
わたしたち司教たちもシノドスにおいて主のブドウ畑で働くよう招かれています。シノドスの話し合いではオリジナルな考えや美しい理論を打ち出すことまた誰がより優秀であるかなどを詮議する必要は全くありません。役に立つのは主のブドウ畑を耕し、よく守ること、主の夢の実現に、その民についての主のご計画に協力することです。この機会に主はわたしたちに家庭について配慮するよう要求なさっています。それは家庭がその初めから神の人類に対する愛のご計画のなくてはならない不可欠の部分だからなのです。
私たちは皆罪人です。ですからわたしたちにも主のブドウ畑を人間には欠けることのない欲望のために自分のものにしようとする誘惑はあり得ます。神の夢はいつもご自分のあるしもべたちの偽善に遭遇します。もしもわたしたちが聖霊の導きに素直に従わないなら「神の夢」を打ち壊す可能性があります。聖霊は真の自由と謙虚な創造性をもって寛大に働くため、学問をはるかに超え知恵を与えてくれます。
親愛なるシノドス参加の兄弟の皆さん、ブドウ畑を良く守りよく耕すためにはわたしたちの心と知性がイエスキリストにおいて「あらゆる知恵を凌駕する神の平和」によって守られていなければなりません。こうしてわたしたちの思いや計画は神に属し、神の国の実を豊かに結ぶ聖なる民を構成するという「神の夢」に沿うものとなるでしょう。