毎月第3金曜日に千葉クリスチャンセンター(千葉市中央区)6階の千葉台湾教会で開催されるマイ・ライフ・ジーザス千葉集会。7月のメッセンジャーはアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団草加神召教会主任牧師の天野弘昌氏だった。
「こんなにたくさんの方が来てくださるなんて、天野先生の人気の高さがうかがえる。用意した座席が足りなくなるほどです。感謝ですね」と挨拶したのは、マイ・ライフ・ジーザス千葉集会代表のカイク加藤氏。その言葉の通り、集会が始まっても会場を訪れる人が後を絶たなかった。メッセージの前には、スペシャルゲストとしてゴスペル声楽家のエステル・あきこさん(板橋泉教会牧師夫人)が賛美。「予定した曲ではなく、祈っているうちに与えられた曲」として、力強い低音で始まるタンゴ調の曲をピアノの弾き語りで歌った。
天野氏は「向きを変えて出発せよ!」と題してメッセージ。聖書が語る「向きを変えて出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川まで行け」(申命記1:7)から話をした。冒頭には「教会には、さまざまな人がやってくる。教会とは祈りの場。クリスマスだけを祝う場でもなければ、結婚式を挙げるだけの場でもない。病気の人が病院へ行くように、祈りが必要な人が教会にやってくる」と話し、祈りの力について語った。
中学1年生の時に自殺で兄を亡くしたという天野氏は、その後、優秀だった兄の遺志を継ごうと医学部を受験すべく勉強に励んだ。しかし、兄の死をきっかけに家族の状態は悪くなるばかり。父は胃の病気を、母は精神的な病を負うことになる。悪化する環境の中、「神様!いるなら出て来い!」と叫んだこともあったという。ある日、母が友人を介して聖書を手に入れ、間もなく天野氏も教会へと導かれることとなった。「これだ!」と思ったと当時のことを語った。
医者を目指して、医学部受験を志したが、「医者の働きは偉大。しかし、医療が進んでも人生は最高でも百十数歳。われわれには、聖書が語るように永遠の命がある。この方が重要ではないか」と思い直し、大学卒業後、米国系の銀行に就職したが、後に献身。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)と聖書が語るように、天野氏は「人は過去が悪ければ悪いほど、救われた後、祝福が大きいのでは」と話した。
また、神の御業に確信を得た話として、こんなエピソードを話した。ある日、動物好きな少年が天野氏の前に現れた。「飼っていた金魚が死んでしまった。先生、なんとか助けてください!!」と泣き出した。天野氏は少年と共に祈った。すると、その金魚は息を吹き返した。この少年は、神の御業を目のあたりにして、その後救われたという。天野氏はヨハネによる福音書にある「ラザロの死」を例にあげ、「こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた」(ヨハネ11:43)イエスについて、「イエス様は『ラザロを助けてください』と祈ったのではなく、それは、ラザロは助かることが分かっていた『領収書』の付いた祈りであった。われわれも主の御力を強く信じて祈りたい」と語った。
礼拝の後には、天野氏に祈ってほしいと願う信徒が列を成した。一人ひとりの声に耳を傾け、声を嗄(か)らさんばかりに祈った。ユーモア溢れるメッセージに終始笑い声に包まれた集会は、静かな祈りと神への感謝で幕を閉じた。
来月のマイ・ライフ・ジーザス千葉集会は、8月15日午後2時から。メッセンジャーは保田みゆき氏(バイブル・チャーチ牧師)。特別ゲストに腹話術師の加藤幸子氏と「相棒」のキラちゃん。