「美しい人よ出ておいで」と題した講演会が5月30日、お茶の水クリスチャン・センター(OCC)8階チャペルで行われた。講師は、アーサー・ホーランド師夫人、キャロリン・愛子・ホーランドさん。ユニークなタイトルとテーマ、そして何よりキャロリンさんの人柄を慕う女性ファンも多く、参加者のほとんどが女性であった。キャロリンさんは、アメリカ人宣教師の長女として、日本で生まれ育った。高校を卒業後、ハワイ州立大学に進学。1982年、ホーランド師と結婚を機に再び日本へ。生涯のほとんどを日本で過ごしている。
この日、キャロリンさんがひもといたのは、「Song of Songs(歌の中で最上の歌)」とされる「雅歌」。キリストと教会は時に、キリストを夫として教会を花嫁として例えることがある。最も情熱的な言葉が並ぶこの書は、単に夫婦や男女の関係を表しているのではないかと思われるが、キリストと教会の関係を書いた書ではないだろうかと冒頭で話しながら、キャロリンさんは「私は二つとも正しいのではないか」と思うと話した。
「どうかあの方が、その口のくちづけをもって わたしにくちづけしてくださるように」(雅歌1:1)
「なんて情熱的な言葉でしょうね。ドキドキしますね。男性の牧師先生は、恥ずかしくて、なかなかこの箇所からお話にならないようですよ」とキャロリンさんが話すと、会場からは微笑む参加者の姿が多く見られた。「あの方」とは誰のことで、「くちづけをする」とはいったいどういうことなのだろうか?「神様の言葉を私の中で心から味わえればいいのに」とキャロリンさんは説明した。
私たちは不安なこと、絶望するようなことに直面するときもある。自分がとても悪い人間に思えて、神様から愛される資格のない人間にさえ思えるときがある。「たとえば、牧師先生のような方は、聖書のことをたくさん知っていらっしゃる。ご奉仕もたくさんなさる。だから、神様に愛されるのは当たり前だ」と、自分の「ものさし」で人を計っているのではないだろうか。「私たちの『ものさし』と神様の『ものさし』は違う。神様は私たちのことを誰よりもご存知です。両親よりも夫よりも友人よりも誰よりも。そして私たちの弱さも知っていて、すべてを受け入れてくださっているのです」とキャロリンさんは語った。
「だれにもまして美しいおとめよ どこかわからないのなら 群れの足跡をたどって羊飼いの小屋に行き そこであなたの子山羊に草をはませていなさい」(雅歌1:8)
「神様は、私たちを誰よりも『美しい人』として迎えてくださっています。あなたはクリスチャンになって変わったと思いませんか?」と問いかけると、大きくうなずく人の姿も見られた。続いて、「私たちは、神様によって変えられ、日々変えられています。それは、未熟な乳幼児が、やがて成熟し大人になっていく姿に似ているのではないでしょうか。私たちもクリスチャンとして歩み、そして神様に変えられているのでしょう」とキャロリンさん。
「恋しい人は言います 『恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで』」(雅歌2:10)
「花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た この里にも山鳩の声が聞こえる」(雅歌2:12)
私たちは、誰しも罪を悔い改め、素直に神様を慕い求めるなら、「美しい人」となることができる。「私たちが、神様を慕い求める時、『山鳩』のようになることが必要」とキャロリンさんは話す。山鳩は、わき見をすることをせず、前しか見ることができない。私たちも世俗的な物事に囚われず、まっすぐに神様を見上げるという意味だ。キャロリンさんは、「『この里』とは私たちの住む日本だと信じたい。たくさんの山鳩の声が日本にもたくさん聞こえるように」と話し、祈った。
時に神様の愛が迫ってきて、自分の中で準備ができていないときがあるのではないか。「いや、まだまだ私には無理だ」とせっかくの神様からの求愛をないがしろにしてはいないだろうか。
「次に、もし神様の愛が迫ってくることを感じたら、どうぞそれを受け入れてください。あなたは十分に美しく、その価値がある人なのですから」とキャロリンさんは優しく語りかけた。
人は「愛」で強くなる。神様の溢れんばかりの「愛」の中で、私たちは美しく、そして強い。聖霊に満たされた1時間半の集会は、会衆一同の賛美と祈りで幕を閉じた。