女性が政治的指導者、または軍事的指導者になることは、聖書に基づいたことなのか。あるクリスチャンの女性が8日、南部バプテスト神学校のアルバート・モーラー学長のポッドキャスト「アスク・エニシング:ウィークエンド・エディション」で質問した。
モーラー氏はこの「微妙で鋭い」質問に答えるにあたり、「神は目的を持って政府というものをわれわれに与えた」のだから、政治は人間の活動として重要なものである、というところから始めた。
しかし、政治における女性の役割とは何だろうか?
「神は男性と女性それぞれの関係と責任に関して、ひな形を授けました。特に2つの領域、すなわち教会と家庭においてです」とモーラーはリスナーに語った。「例えば聖書は、男性全員ではなく一部の男性が教会において指導的立場につくよう招命を受けていることを明確に語っています。そしてそのような教会における霊的な責任という意味では、男性と女性の間に区別があります」
それはまた家庭にもあてはまるとモーラー氏。聖書では、妻に対する夫の責任、また母親に対する父親の責任、というように、一つのひな形が示されているとも語った。
「男性女性どちらも神の似姿において作られましたけれども、相互補完的に割り当てられた仕事があり、教育・指導するよう招命を受けた男性に優先的に権威が与えられているところはあります」
しかし人間の営みには様々な領域がある、とモーラー氏。「芸術的な領域や文化的領域もあります。そしてもちろん、政治的領域や経済的領域、軍事的領域もあります」
教会や家庭の場合と同じ原理がこれら他の領域においてもあてはまるのだろうか?
「天地創造においてさえ、アダムとイブ双方に与えられた責任がある一方で、相互補完的な関係があったことも明らかです」とモーラー氏は指摘。神はアダムが1人でいるのはよくないと言い、彼を助け、補う存在イブを創造したのだと説明した。
「女性が経済的指導者、文化的指導者、あるいは政治的指導者として務めることに関して決定的な答えを出せるのかどうか確かではありません。しかし答えは必ずしも『ノー』ではないでしょう。聖書に出てくる女性達は、とても重要な責任を負っています」とモーラー氏。例として、商業に携わっていたとされるフィリピのリディアを挙げた。
モーラー氏は、政治における女性の役割という問題に関して全ての時代に当てはまるような「単純な原理は一つもない」と強調。「一般的に言って、男性は大人になると、責任を負い、これらの分野でできる限りリーダーシップを発揮することが求められます。しかしだからと言って、女性が指導すべき時がないということにはなりません」
モーラー氏は、彼と妻が英国のマーガレット・サッチャー元首相と撮った写真が自宅にあると打ち明け、サッチャー元首相は「自分にとってヒロイン」であり「われわれが大事にする価値観を守るため歴史的に必要な存在」であったと語った。
神は確かに経済、政治両方において非常に戦略的な役割を女性に与えることがあるのだ、とモーラー氏は言う。「軍事に関しても、特に民間人としてのリーダーシップという意味では、例外とするわけではありません。ですが、女性が戦場で戦わないということはとても大事です。それは聖書でとても明確にされている原理だと思います。男性が女性を守るべきなのです。そういう意味では、女性が男性を守るようにと要求すべきではありません」