「心の中にシオンへの大路のある人は……神の御前に現れます」(5~7節)とあります。人生でいろいろなところを通りますが、そこが泉の沸くところとなり、祝福となっていく。「神の御前に現れる」とありますが、つまり、神様の前に立てるということです。
「万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は」(8~12節)
ここでは自分の願いを聞いてほしいと言っています。その願いは、「神様の大庭にいる一日は千日にまさる」、「悪魔の天幕よりも神様の宮の門口に立ちたい」。こういう控えめな願いです。
この詩篇の文章は、「幸いな人のこと」を言っています。どういう人が幸いな人であって、幸いな人はどういう状態であるかを言っています。
では5節の「その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人」とはどういう人なのでしょうか。幸いな人は、人間にではなく、神にある力を持っている人です。
6節に「涙の谷を過ぎるとき」とあります。そこは良い所ではありませんが、そのようなところが泉の沸くところになっていくと言っています。7節では、幸いな人は「力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れる」と言っています。
9節、「神よ。われらの盾をご覧ください」。この盾とは何でしょうか。幸いな人には盾があると言っています。そして「主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれない」(11節)と言っています。そして「なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は」(12節)と結んでいます。
このようなすばらしい幸いを受けている人は、そう世の中に多くは存在しないと思います。詩篇84編では、たましいが主の大庭を恋い慕っていて、主の大庭というその建物や風景を喜ぶのではなく、心も身も生ける神に捧げ喜びの歌を歌っている信仰の姿を見ます。
「万軍の主。私の王、私の神」(3節)である神に対して、「まことに、神なる主は太陽です。盾です」(11節)と言っています。ところが先ほどの3節の中にこの「盾」が出てきません。なぜでしょうか。
8、9節を見ますと、その前の節までは神様は「万軍の主。私の王、私の神」と表現されていました。9節では、この神様に対して「われらの盾をご覧ください。油そそがれた者の顔に目を注いでください」と言っています。11節では、その「盾」が「神なる主」だと言っています。
旧約の時代では、律法を行うことによってのみ神の御前に近づくことができました。それでも「幕の奥」には入れませんでした。つまり自分の力では「主の大庭」には入れないのです。しかしどうして私たちクリスチャンは入れるのでしょうか。9節の「盾」である「油そそがれた者」によって入れるようになったのです。
使徒の働き4章27節には、「あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエス」とあります。84篇9節の「油そそがれた者」とは、イエス様のことを言っています。
人間の力では、たましいがどんなに大庭を慕い求めたとしても、自分の力で入ることは全くできません。しかしイエス様によって「幕の内側」まで私たちが行けるようになったのです。
つまり詩篇84編の「幸いな人」とは「盾」を持っている人であり、「その力」は私たちの力ではありません(5節)。そのような人は「力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます」(7節)。
イエス様の「盾」を持つ人は、力から力へと進んで、「教会」において、神の御前に現れると解釈ができます。イエス様のおかげで神の御前に立ち、そこに住むことができ、「良いものを拒まれない」(11節)とされたのがクリスチャンです。
旧約聖書の時代、入ってはいけない場所が「至聖所」でした。
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」(ヨハネ1章16、17節)
「恵みとまこと」はイエス様によって実現しました。旧約の時代に生きた人たちが「幸い」だと言っているのではありません。旧約聖書の詩篇84編に書かれているこの「幸いな人」とは誰のことなのでしょうか。盾なるキリストを持つ者だけが、この恵みにあずかることができると言っています。
この方の満ち満ちた豊かさの中から恵みの上にさらに恵みを受け、自分の力ではなく神の恵みによって「天国の大路」を歩ける者となったのがクリスチャンです。(続く)
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徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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