次に「心の中にシオンへの大路のある人」(詩篇84篇5節)を見ていきましょう。モーセでさえ、旧約の時代の大祭司でさえ、「幕の奥」には限られた条件の中でしか入っていけませんでした。そして神の顔を見るということはできませんでした。モーセは神に「わたしを見て、なお生きていることはできない」(出エジプト記33章20節)と言われました。しかし私たちクリスチャンは天国に入っていける、それは神の顔を見ても死なない者とされたからです。
つまり「心の中にシオンへの大路のある人」とは、父のおられる道、「わたしが道であり、真理であり、いのち」(ヨハネ14章6節)と言われるイエス様がいなければ、誰も行くことのできない父の元へ、イエス様によって、心の中に天国の大路がある恵みを受けていくことができるようになった人のことを言っているのです。
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」(詩篇84篇6節)
経済的なこと、人間関係で問題があるかもしれません。しかしこの「盾」を持っているのなら、今涙している場所が変わっていくのです。涙している谷を通っている人は、そういう状況の中で喜べないかもしれません。しかしその場所が、「泉のわく所」と変わるのです。これはすばらしいことです。今苦しんでいる人であるとしても、そのあなたが「幸いな人」となるならば、その場所が泉のわく所となるのです。
一方で目に見えるところには、いつもサタンが問題を持ってくるでしょう。しかし私たちは問題があっても、「泉のわく所になる」と信じています。だからこそ、いろいろな問題の中で感謝でき、いつも喜べるのです。問題のある場所が「泉のわく所」となると信じている者は、いつも幸いなのです。
「初めの雨もまたそこを祝福でおおう」(6節)とありますが、この「初めの雨」とは何でしょうか。アダムとエバが知識の木の実を食べて以来、地はのろわれました。しかしイエス様が十字架に架かり、復活された後の初めの雨、つまりペンテコステが最初に生じた恵みの雨、聖霊の雨の中で私たちが祝福されていく、祝福されたものとなっていくことを言っています。
「泉のわく」人というのは、元気を失わない人、いつも元気な人のことです。財布の中に千円しかない状態でも、銀行にお金があるなら落ち込みません。
クリスチャンが、いろいろな問題があっても、平然としていられる理由は、「天の大路」が見えないところにあることを信じているからです。サタンは見ているもので振り回そうとしますが、「見えないところにあるものが何か」を知っている人は、目に見える問題について心配することがありません。問題があったとしても、喜んでいることができます。そして成功していきます。それは、私たちは「盾」に信頼しているからです。「自分がどうか」ではありません。つらいことがあったとしても、「泉のわく所となる」、これを信じているのです。
私たちは艱難や苦しみ、迫害、飢え、裸、危険や剣の中にあっても(ローマ8章35節)、圧倒的な勝利者(ローマ8章37節)となることができるのです。涙の谷を過ぎるときも、泉のわく所と変えていくことができる(詩篇84篇6節)のです。
「彼らは力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます」(84篇7節)
この著者は、旧約の時代に生きた人でしたので「神の大庭で良い、戸口で十分」と言っています。しかし私たちは、新約の時代において神様の御前に現れる人になったのです。これはすばらしい人たちです。ユダヤ人はカナンの地を目指して進み、その土地を与えられていきましたが、最終的にカナンの地に入った人と入れなかった人がいました。「あなたに信頼するその人」(12節)が幸いであるというのは、イエス様を「盾」とする者が、幸いとなるために必要なことは、イエス様を信頼して求めていく信仰であるということです。
神の御前に立つためには、信じていのちを保つ者とならなければなりません(ヘブル10章35~39節)。神を信じる者、信頼する者が神の御前に立ちます。私たちクリスチャンは、自分たち自身に問題を解決する力はありません。
しかし、何でもできる良いものを拒まれない盾、イエス様に信頼する者であるからこそ、その恵みに入ることができるのです。
詩篇84篇の「幸いな人」というのは、新約の時代にイエス・キリストを信じるようになった人たちのことを言っています。詩篇の著者が幸いな人というわけではありません。いつも神の御前で、神をほめたたえている人、心に大路がある人、力から力へと進む人、盾を持っている人、戸口に立ちたいという控えめな人でなく、良いものを拒まれないと言われる人たち、このような「盾」に信頼する人たちは幸いだと言っているのです。詩篇84篇の「幸いな人」とは、新約の時代に生きる私たちクリスチャンのことです。私たちは、幸いな者です。アーメン。
■「旧約から新約を解く」シリーズ:(1)(2)(3)(4)(5)(6)
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徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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