宮村武夫
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹。(2019年8月16日死去、プロフィールは執筆当時のものです。現在はクリスチャントゥデイ名誉編集長)
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹。(2019年8月16日死去、プロフィールは執筆当時のものです。現在はクリスチャントゥデイ名誉編集長)
平良善郎先生の沖縄説教塾についての記事を読みながら、平良先生と私の沖縄聖書神学校での出会いとそれ以来の交流の恵みの背後にある、さらなる恵みの絆を覚えました。話は1958年秋、私が日本クリスチャン・カレッジの1年生であったときに戻ります。
2月の沖縄訪問は、例年に比較して2月2日から13日までの短期間でした。しかし充実した集会や個人・家族との深い交流を重ね、心満たされました。例えば、安慶名(あげな)バプテスト教会創立47周年記念主日礼拝で宣教(説教)を担当したことです。
『封印された殉教』の上巻に続いて、待望の下巻の書評をなす機会が与えられ、感謝しています。上巻から下巻への橋渡しのため、著者の佐々木宏人氏は、私たちにとても有効な贈り物を与えてくださっています。
東横インに戻り、さまざまな方々と電話のやり取りが続く中で、埼玉・寄居の寄居チャペルの鮫島紘一先生から電話を受け取りました。ちょうどその日の礼拝の最後の時間に、小谷野つね姉が召天・帰天なさったことを告げ知らされたのです。
本書『神の国と世界の回復―神の国と世界の回復』には、長い稲垣久和先生との交わりの中で常に意識され続けてきた中心的課題が取り上げられています。各論の論者とその主題を一瞥(いちべつ)しただけでも、おのずから興味が湧いてきます。
今回は、そこに登場する5節の「遊女ラハブ」に焦点を絞りたいのです。それによって、混乱の時代に歩み続ける私たちになお、確かな「足のともしび」「道の光」が与えられ、今年のクリスマスの忘れがたい記念としたいのです。
私にとって貴重な宝庫である本書への第3回の応答として、第2章「活発な教区司祭」に焦点を絞りたいのです。この章で3つの項目がそれぞれ対比的な側面から描かれています。この2章の全体構造を私は鮮やかな対比の妙の実例として受け取りました。
この著者入魂の著作は、私にとってさまざまな切り口から味わうことが許され、実に心満たされています。第2回の応答として、戸田帯刀神父の母校である旧制開成中学に焦点を合わせたいのです。
確かに、クリスチャントゥデイでの経験は私にとって初めての経験です。しかし同時に、高校生の時、思いを越えた経過で、キリストの福音を聞き、主イエスご自身に従う道を歩み続けたそのままを、クリスチャントゥデイでも継続してきたと自覚しています。
2014年4月、思いを超えた経過でクリスチャントゥデイの働きに参与した際、最初に始めた試みの一つが編集会議でした。牧師、また神学校教師としての歩みを継続してきた私にとって、インターネット新聞の編集者など、想定外の役割でした。
毎日新聞元記者の佐々木宏人氏による、私の母校・開成高校の先輩、戸田帯刀神父の記事を、隔月誌「福音と社会」で数年にわたり読み続けてきました。その連載記事が、ついに『封印された殉教』としてフリープレス社から刊行されました。
第1章「キリスト教と近代の迷宮」、第2章「近代科学の魔力と哲学の逆襲」において、2人の特徴ある論者が近代の課題を歴史的に取り上げた後で、3章では直接現代、しかも現代日本の責任に焦点を絞ってやはり多様な課題を取り上げ、対話が展開されています。
今回は第2章について応答します。最初に2章のタイトル。「近代科学の魔力と哲学の逆襲」と、私にとっては何か重々しい響きのあるものです。このタイトルで意を引くのは、近代と科学が結び付いている点です。その事実の重みを「魔力」との表現で表していると見ます。
第1章は、キリスト教そのものに焦点を合わせています。その展開は、「キリスト教をその内側から思考してきた者と、キリスト教に対して外から――いわば無神論者の立場から――関心をもってきた者との間の対談」である本書の特徴の良さが発揮されています。
TCUの稲垣久和先生と大澤真幸氏の共著『キリスト教と近代の迷宮』を手に取り、稲垣先生との長年の交流を感謝しつつ、久しぶりに稲垣先生の思索に触れ、うれしくなりました。本書の特徴は、何といっても2人の優れた著者の対談である事実です。
小さな本です。しかし、今まで知らなかった事柄を教えられ、今後のクリスチャントゥデイの記事の在り方の一面について示唆を与えられています。最も基本的なこととして、「ファクトチェック」とは何か。
興味深い本書に対する応答の3回目として、第5回講義、第6回講義に焦点を絞ります。第5回講義においては、「道徳」と「欲」と一見対立するかに見えるものを統合する「人間の行動の基」となる心の作用に注目し、道徳の階層構造を提示しています。
実は、第3回講義のタイトルを見て、思わず声を出して応答したいほどでした。高校生以来、60年余聖書を読み続けている中で、聖書の主題は、「人間・私」との思いを最近ますます強くしているからです。
インターネットのマイナス面にうんざりすること、確かにあります。それもかなりしばしば。しかし同時に、インターネットならではの経験も少なくありません。それも、深く思いを越えた経験です。
2014年4月からクリスチャントゥデイで実際の働きを始めるに当たって、2つのことを自覚しました。1つは、20代で地域教会の説教牧会に従事すると同時に、神学教育機関で教え始める、表面的には二足の草鞋を履く状態の中で覚悟し決定した道の再確認です。