第51回バックストン聖会2日目の20日午後2時の集会で、日本ホーリネス教団坂戸キリスト教会牧師で太平洋放送協会(PBA)理事長の村上宣道氏は、エフェソの信徒への手紙5章18節を引用し、キリスト者が御霊に満たされることが任意的な好みや選択でなく「命令」だと強調した。
村上氏は、エフェソの信徒への手紙5章18節「御霊に満たされなさい」(新改訳)を、その原語の文法的用法に基づき、3つの視点から説いた。
第1に、命令形だ。村上氏は、「強い勧めの言葉」だとし、「(御霊に)あふれるばかりに満たされなさいという命令」だと強調した。そのうえで、命令形が使われている理由について、「(御霊に満たされていなければ)聖書が期待されているクリスチャン生活を送ることができない」と説明した。
なぜそれほどまでに聖書は、キリスト者が御霊に満たされていることを要求するのか。村上氏は、さらに具体的に3つの理由を説明した。
まず、キリスト者がいまの時代を悪い時代だと認識し、その流れに振り回されることなく主の御心にそった歩みを実践するためだ。村上氏は、「聖霊に満たされていない心に、さまざまな誘惑が入ってくる」と指摘し、社会が道徳的に堕落し、教会の中にさえその堕落が忍び込むような時代の中で、キリスト者が主の御心を行うためには「御霊に満たされる必要がある」と強調した。
次に、御霊に満たされなければ「キリストの奥義」(エフェソ3・4)を経験することができないからだ。その奥義とは、キリストの内住(エフェソ3・16〜19)を指す。村上氏は、「御霊によって、キリストが住んでくださることを日々確認しながら、何というすばらしい愛の中に生かされているか、絶えず経験して生きることができる」と力を込めた。
3つ目に、日常生活の歩みが神の御心にかなったものとなるためだ。村上氏は、「御霊にみたされるとは別人になることではない」とし、「御霊に満たされたら、賛美がそのうちからわいてくる。すべてに感謝することになる。互いに仕え合うことができる」と説いた。そのうえで、苦しみの多い毎日の日常生活だからこそ、その中でキリスト者として生きるために御霊に満たされる必要があると語った。
原語の文法的用法の第2は、受身形だ。村上氏は、キリスト者に御霊が満たされるのは自らの能力ではなく、ただ「イエスが栄光を受けてくださったから」(ヨハネ7・37〜39)だと説いた。また、「このお方(イエス・キリスト)を信じるとき、御霊が満ちてくださる。その御霊が惜しげもなく注がれる」と語った。そのうえで、御霊を満たしていただくためには、自らの主権を手放し、神にすべてをゆだねる必要があると説いた。また、「求めなければ私のものとならない」と語り、「あなたがなければ生きていくことができない。これがなかったら生きていけないと、聖霊をそれほどまでに求めているでしょうか」と訴えた。
第3は、現在形だ。村上氏は、「継続を意味する」と説き、「いつかの思い出話ではない。毎日の生活の中に、聖霊で満たしてくださいと祈りながら歩ませていただきたい」と語った。