第51回バックストン聖会2日目の20日午後6時半の集会で主講師の工藤弘雄氏(日本イエス・キリスト教団香登教会牧師)は、マタイによる福音書5章21節から48節でイエスの示した義について説き、「(イエスの中に)罪に対しての妥協はさらさらない」と強調した。
工藤氏はまず、マタイによる福音書5章17節を引用し、イエスが律法や預言者を廃止するために来たのではなく、イエスにおいて律法や預言者がすべて成就されたことを強調した(マタイ22・37〜40)。そのうえで、イエスが21節から説く義について、「この世のすべての義に勝るところの義をここで具体的に展開している。その『勝れる義』の中に本当のホーリネス(きよめ)がよく表されている」と語った。
5章22節に「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」とある。工藤氏は24節によって神に取り扱われた自らの信仰体験を証しし、キリスト者に内住する聖霊が鋭く愛をもって、わだかまりのある兄弟との一刻も早い和解を促していることを強調した。
5章28節に「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中で女を犯したのである」とある。工藤氏は、「この言葉ほどするどい言葉はない」と語り、「体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである」と続く29節、30節については、「罪に立ち向かうイエス様の姿勢がどれほど厳しいものか。(私たちは)それほどに罪を憎んでおるか。それほどに魂を愛しておるか」と説いた。
5章39節には、「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右のほおを打つなら、左のほおをも向けなさい」とある。工藤氏はここに示されている「2倍の愛の報復」を説明するために、ある実話を語った。水の貴重な地域に住む中国のあるクリスチャンの農夫が、ポンプを使って一生懸命に田んぼに入れておいた水をとなりの農夫に盗まれた。1回だけならまだよかったが、それが数日続くうちに、農夫の中にも怒りがこみ上げてきた。しかし、教会の長老から聞いた助言が農夫の心を変えた。「ただよいことをするだけなら、クリスチャンほどもっともみじめなものはない」。すぐさま農夫は、いつも水を盗んだ相手の田んぼへ先に水を満たし、それから自分の田んぼに水を入れた。すると3つの出来事が起こった。ひとつ目は、田んぼに水が満たされているのを見て、相手がショックを受けたこと。2つ目は、彼が教会に来たこと。3つ目は、彼がクリスチャンになったことだ。工藤氏は、「(これが)イエスのホーリネス(きよめ)ではないか」と語った。
5章43節には「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とある。工藤氏は、ここで示されている愛について、「好き嫌いの感情ではない。愛とは、好き嫌いを超えた意志的なもの」と説いた。
工藤氏は、マタイによる福音書5章21節から48節で、厳しく罪に立ち向かうイエスの姿に「罪の除去としてのホーリネス(きよめ)」が、神の愛をもって愛において完全な者となるようにとのイエスの命令に「全き愛としてのホーリネス(きよめ)」が表されていると説いた。
工藤氏は、「『勝れる義』の終着点は全き愛」と説き、自らのうちを神の愛が支配するときに、罪は放逐されると強調した。そのうえで、自らの中にある▽怒り▽情欲▽不品行▽不誠実▽愛のない冷たさ(マタイ5・21〜48)を神に示していただき、その罪を頑固として除去すべきで「だからこそ十字架がある」とし、「古いおのれが十字架につけられておる。それは罪の体が滅びて、ふたたび罪を犯すことのないため。もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり。これがホーリネス(きよめ)ではないか」と力を込めた。