第51回バックストン聖会1日目の19日午後2時の集会で同聖会委員長の横山義孝氏(日本基督教団東京新生教会牧師)は、祈りの中で「神にすべてを明け渡せ」との迫りを受けた自身の信仰体験を語りながら、罪を悔い改めて自らのすべてを神に明け渡すことによって、聖書に約束された平安と喜びに満ちたキリスト者生活を体験できることを強調した。
横山氏は、「罪に対して死ぬことはきよめの消極的側面」と語り、ホーリネス(きよめ)の中心は、キリストの内住によって与えられる平安と喜びにあふれた生活だと説いた。そのうえで、コリントの信徒への手紙二6章16節にある「わたしは彼らの間に住み、巡り歩く」との神の約束を強調し、「私(神)があなたがたのうちに住み、導くという約束。これはまさに神が私たちに約束してくださっている」と語った。
横山氏は、献身者となってまだ間もないころ、すでに開拓伝道を始めて10年がたっていたが、神を信頼すると口では言うものの、心のどこかでまだ確信がもてずにいる自分に満足を感じなかったという。しかし、祈りの中で、献身してもなお自らの手に握っていたものを神に示され、そのすべてを神に明け渡して間もなく、キリストが自らのうちに住むという事実をはっきりと神に示され、それを確信するに至った。横山氏は、「神に全く明け渡すことのいかに尊いことか」と語り、神を信頼してすべてを神に明け渡すことと、何を犠牲にしても神の御心に従うことの重要性を強調した。
横山氏は、コリントの信徒への手紙二7章1節の中に2つの「きよめ」が示されていると説いた。第1に「肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ」(口語訳)とある。横山氏は、第1のきよめについて、「罪の悔い改めを示す」と説いた。そのうえで、ローマ書1章18節から32節と2章に記された罪を示した。
第2に「神をおそれて全く清くなろうではないか」(口語訳)とある。横山氏は、第2のきよめについて、「献身を意味する」と説いた。横山氏は、エフェソの信徒への手紙4章23節「心の底から新たにされ」にある「心の底」とは「神の宿られるところ」と説き、神を心から信頼し、自らの権利を全く放棄して神に服従する者に、真の平安と喜びがあることを強調した。
横山氏は、「(キリスト者は)神の前に本来ささげられた者」とし、自らをもって神の栄光を現すようにと語った。