日本聖公会宣教150周年記念礼拝が23日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた。大聖堂での礼拝参加者は2700人以上にも及び、参加者で聖堂は入口まで埋め尽くされた。日本聖公会は1859年6月に、米国聖公会のウィリアムズ主教が長崎に上陸したときから、日本での組織的な宣教が正式に開始されたとされている。その後1887年には日本聖公会初の総会が行われた。
礼拝では、聖公会カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ氏が説教を行った。同氏は「本日ここで偉大な喜びをともに迎えることに感謝します。世界のコミュニオンにこの喜びが分かち合われています」と挨拶し、日本聖公会のこれまでについて振り返った。宣教のあり方について、「質素であるべき」とし、「宣教する人が自身の政治力、権力、貿易による利益、金銭問題などを捨て去らない限り、宣教は効果的なものとはならない」と警告した。宣教においては重装備をして行うのではなく、神が宣教師に先立って行かれそれぞれの場所を聖なる場所としてくださることを信じ、「素足の宣教」を行うことを勧めた。宣教の秘訣は「語るのと同様に聞くこと、語る前に聞くこと、神の御言葉に耳を傾け、もっと深い敬意と感謝をもって神と出会うこと、そして会う人々を尊敬することに他ならない」と述べた。
また「リスクと連帯」についても強調した。自分や自分のキリストの家族のみを安全に守る信仰の在り方を改め、イエスの御名によって抑圧された人々と連れ立って人間の苦難の道を歩くことを勧めた。また世俗の文化に対しても「傲慢かつせっかちに接するのではなく、隣人の豊かな素材を受け入れる姿勢で隣人たちに向き合っていくことが必要であり、これまで培われてきたそれぞれの文化に対して敬意を払うことが必要である」と促した。
日本で江戸時代に生じたキリシタン迫害や鎖国制度については「外人の欲望に対し当時の日本幕府が恐れたのが原因」と述べ、明治時代に宣教とともに西欧文化が流入した際も、宣教と西欧人の日本への貿易受け入れなどの利害関係が混ざっていたことを指摘した。その上で、宣教において、異なった利益を押し付けることをしてはならないとし、日本聖公会が世の中の人たちとの和解に努める勇気を持つことが大事であると述べた。
また宣教する際に、自らの価値や今まで生きてきた意味を図るのではなく、教会に訪れた人がまさに贖い主であるイエス・キリストに接することができるために自身を捧げるべきだと強調した。日本聖公会は日本の忘れられた人、見捨てられた人々、都市・田舎に住む貧しい人々、暴力に悩む女性、厳しい環境で生活をしている在日外国人のために奉仕していくべきであり、他者との連帯なしにイエス・キリストとの交わりはないと述べ、世の中の人たちと和解していくように呼びかけた。
ウィリアムズ氏は「神は大いなる激励と忍耐と、大いなる喜びをもって日本のキリスト者、特に聖公会の人々を祝福されています。神が私たちを通してお語りになりますように」と祈りをささげた。
23日の150周年記念礼拝の様子、また22日に立教大学タッカーホールで行われた米国聖公会キャサリン・ジェファーツ ショーリ総裁主教による夕の礼拝の様子はDVD1枚に収録されており、11月上旬から同DVDが販売開始される(1枚1000円)。予約受付他詳細は日本聖公会宣教150周年記念礼拝実行委員会(代行:東京教区教区事務所 足立・高柳 電話:03・3433・0987)まで。