加山久夫・明治学院大名誉教授(賀川豊彦記念松沢資料館館長)は、25日に放送されたキリスト教放送局FEBCの番組で、これまで日本の神学者らの賀川豊彦に対する評価が必ずしも高くはなかったことを指摘し、「(評価の)座標軸そのものを再点検する必要がある」と賀川の再評価の必要を訴えた。また、日本の神学のあまりにも固定化されたバルト主義を評価の座標軸にすると、「(賀川は)キリスト教的見地からは周縁的なもの、余分なものと評価されがち」であるが、「(本来)キリストの福音はもっと広く、開かれた自由なものではなかったのでは」と意見を述べた。
番組は賀川の献身100年を記念する全6回の特別番組。加山氏はその第1回目のゲストとして、「賀川豊彦を知っていますか」と題して賀川の生い立ちから、賀川の生涯が現代に投げかけるメッセージについてまで語った。
加山氏は、「賀川の場合、社会活動と教会活動は車の両輪のように分離されてはならないものでした」と語った。賀川が「(教会は)常に社会に開かれ、他者に奉仕する共同体でなければならない」と考えていたのに比べ、「日本の教会は概して、教会中心主義、それも個教会主義、教職中心主義といった傾向がずっとあるのではないか」と指摘。善いサマリア人(ルカ10:25−37)のたとえにあるイエスの教えを素直に実践した賀川の生涯の中に、現代の教会が学ぶべきものがあることを示した。
また、賀川が伝道者として昭和初期の4年半実施した「神の国運動」や、戦後3年半行った「新日本建設キリスト運動」を紹介。賀川はキリストの福音を多くの人々に言葉で伝えただけではなく、共済組合、結核ミッション、囚人ミッション、炭鉱夫ミッション、農村伝道、漁村伝道などを次々と展開していった。加山氏は、この運動について「イエスの人間解放の福音を表現したものであり、イエスの神の国のメッセージからくみ出したもの」と評価し、「この神の国の思想とその具体化は、日本の神学者や牧師、また教会も十分に正面から取り組んでこなかったのではないか」と指摘した。
さらに、賀川が農村青年育成のために100を超える農村福音学校をつくるなど、都市部よりも貧困に苦しんでいる農村での伝道や農民の生活向上のために努力したことを強調。米や麦の生産に不向きな山間地ではクルミやどんぐりなどの木を植えて栄養をとり、またやぎなどの家畜のえさにしてそのやぎから乳を搾り、ミルクやバターやハムをつくるといった賀川の立体的な農の思想は、「再び世界的に重要になるのではないか」と語った。
平和問題との関連では、賀川が学校の教練の時間に銃を投げ捨てて教師からひどく殴られたことや、明治学院大学生時代には日露戦争に反対したことで上級生から鉄拳制裁を受けたことを紹介。賀川が徹底した平和主義者であったことを強調した。
賀川は18歳で徳島毎日新聞に7回にわたって世界平和論を連載。後に、世界平和のためには経済問題、つまり公正な富の分配が重要であることを強調し、協同組合組織によるその具体化を提唱した。また、欧州、アジア、アフリカ、オセアニアなどの地域連合をつくり、それらの上に世界機構を設け、そのもとに世界裁判所と世界警察をおくという構想を戦前から提唱。敗戦からわずか数日後の礼拝で世界連邦の創造という説教を行っている。
最後に加山氏は、賀川の生涯が現代に与えるメッセージとして、共産主義が崩壊する一方、昨今の金融危機に代表されるように資本主義もいまや制度疲労を起こしている中にあって、賀川が第3の道として提唱した「愛と協同」を旨とする協同組合は、「これからますます注目すべきものとなるのではないか」と述べた。