イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。…私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(1ヨハネ5:1~5)
今日は4、5節から勝利について学びます。先日、夜中にテレビで、なでしこジャパンの米国戦が放送されていました。実は、日本は米国に対して、公式戦で40回戦って1勝8引き分け31敗。たった1度しか勝ったことがありません。思わず応援に力が入りました! そして、アウェイでの試合にもかかわらず、勝利! やっぱり勝ち切らなければいけないと思わされました。
私たちの人生においても、勝つことが重要なのです。気を付けなければ、信仰の世界は、私たちは弱いですから、神様の助けや守り、導きという恵みを語ることが多いのです。しかし、勝利という言葉がここに明確に書かれていることを受け止めてほしいのです。あなたの信仰生活の中に勝利はありますか。勝つことにこだわっていますか。聖書は非常に明確に「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです」と語っているのです。
1. あなたにとっての世とは一体何か!
あなたにとって、戦って勝利すべき世とは何ですか。私たちは、お金もうけや人間関係、将来の計画などを思い浮かべますが、このヨハネの書物の中で世という言葉が使われるときは、しばしば悪の力や罪の力が作用する、神に敵対する力が働いているのが世と表現されています。
それは厳しい迫害のことかもしれませんが、この時代の何が世であったかというだけでなく、あなたにとっての、信仰によって打ち勝つべき世とは何ですか。健康ですか。経済ですか。人間関係ですか。仕事の問題ですか。自分を取り巻いている世が何であるか、置かれている現状をごまかさず、対象を明確にしましょう。
2. 信仰こそが勝利をもたらす!
その「世」に私たちを打ち勝たせるものは信仰であり、神の御子を信じる信仰こそが勝利の鍵です。クリスチャンである私たちは、知識ではなく信仰を働かせたいのです。教会に行けば先生が話を聞いてくれるとか、優しい兄弟姉妹がいるとか、雰囲気が好きだというのもいいですが、一番は、自分が働かせることのできる信仰を働かせるべきなのです。
教会の中ではクリスチャンらしく祈り、賛美していても、いざ人生の事実と向き合ったときに、全く信仰を忘れてしまうというケースがありませんか。実生活に戻ったときも、そこでちゃんと信仰を働かせて、信仰を実践する私たちでありたいと思います。
3. 勝利すること!
そして、戦いである以上、勝たなければなりません。ローマ書8章で、これら全てのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となると聖書が語っているように、勝利の神が共におられるのだから勝つのです。どんな病も癒やされ、経済は祝福され、人間関係は改善されるのです。
御利益宗教ではありません。イエス様がそうされたではありませんか。負けると思って戦う者はいません。いつも惜敗を繰り返してはダメです。「わたしはすでに世に勝っている」と言われた主が共におられるのです。大勝利しようでありませんか。信仰によって戦おうではありませんか。そうすれば、世の人の知らない特別な力が働くのです。
勝利を勝ち取るまで前進しましょう。世に打ち勝つ者とは誰か。私たちのことです!
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