マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、…ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこう言ったのは、…彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。イエスは言われた。「…マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです」(ヨハネ12:3~7)
今日イエス様のいのちに触れ、励まされ、御言葉によって引き上げられ、霊的な解放と、主が持っておられる豊かな恵みを頂いて、私たちの日々の歩みを強めていただきましょう。
私たちがクリスチャンとして歩むとき、私たちの心の中はいつも、いのちの喜び、感謝が与えられて、愛、いのち、恵みにふさわしい心の状態に守られています。仕事や人間関係でうまくいかなかったとしても、今日、主キリストが与えてくださるいのちの喜び、主の御業に対する感謝で満たされ、私たちの心を整え直していただきましょう。
私たちは弱くてつまずきやすい者ですが、イエス様は「悩んでいる人、疲れている人は、わたしのもとに来てあなたがたの重荷を下ろしなさい」とおっしゃっています。私たちの重荷をイエス様にお委ねし、喜びや感謝や賛美で満たしていただきましょう。
今日の聖書の箇所は、ベタニヤのマリヤがイエス様の足に香油を注いだ出来事について記されています。今日はその中で、もう一人の登場人物であるイスカリオテのユダの心に注目し、神様に祝福される心の持ち方や生きざまを考えながら、この物語を味わっていきましょう。
1. 人への批判や文句だけで終わらない! 人の行動を褒めよう! 感謝しよう!
マリヤが香油を注いだときに、ユダは心の中で文句を言いました(5節)。マリヤが注いだ香油は300デナリの価値がありました。1デナリが大人1人の1日分の労賃に値します。ユダはそれを見て、貧しい人に施すべきだとマリヤの行動を批判したのです。
しかし、彼は貧乏人への憐(あわ)れみがあったわけではありません。彼の批判は「もったいない」という思いから出ていました。
口には出さなくても、私たちも心の中で批判や文句を言うことがあります。しかし、神様の前に意味のない文句はやめましょう。私たち人間がこの2千年間で得た知識や知恵を、批判や文句に使うことがありませんように。それは誰も幸せにしません。
もしその場に居合わせたなら、私たちがすべきことは、その人の行為を思い切り褒めて感謝することです。必要以上に誰かを批判し、文句を言う度に、私たちの心はどんどん神様の恵みから遠ざかってしまいます。気を付けましょう。
2. 結局、何もしないで終わることはやめよう! 今すぐにでもできることから行動しよう!
ユダはマリヤを批判するだけで、自分は何も行動しませんでした。私たちはそんなユダに倣う者ではなく、心に与えられた良い思いがあるなら、今すぐにでもできるところから行動する者になりたいと思います。完璧にはできないかもしれません。しかし、今すぐにできることは必ずあります。
この物語の中で、マリヤの行動を一番理解されていたのは、他でもないイエス様でした。イエス様は、マリヤが自分の宝物をささげたことに対して、マリヤ自身が考えもしなかったイエス様の葬りの準備という重く深い意味をもって、マリヤの行動に意味付けをしてくださいました。
何もしないで終わるむなしい生き方ではなく、今すぐにでもできることから行動する生き方を目指しましょう。いよいよクリスチャンとして祝福された歩みをする者となりましょう。
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