自分の領内に、迫害から逃れてきたモラビア派の信者たちを受け入れたニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵は、居城を出て、ヘルンフートと呼ばれる霊的共同体に移り住んだ。その結果、共同体に激しい霊的覚醒が起きたのだった。(第1回から読む)
「リバイバルとは、通常の聖霊の働きが高められ、強められたものです。それはしばしば、波が打ち寄せるのに似ています。私たちはリバイバルを必要としている。神はご自身の心に触れるように私たちを招いており、神ご自身も私たちの心に触れたいと願っておられるのです」とフラッハは説明する。
18世紀、ヘルンフートで驚くべきリバイバルが起こったのだ。そして信じられないような祈りの運動がそこで始まった。レビ記の「火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない」(レビ記6:13)とある御言葉に触発され、24人の男と24人の女が、1日24時間続く絶え間のない祈りの運動を始めた。その祈りの運動がいったいどのくらい続いたか想像できるだろうか。何とそれは100年だ。絶え間ない祈りが100年も続いたのだ!
その結果、これらモラビアの群れの間には、強い宣教への情熱も芽生えたのだ。彼らは宣教に従事し、自らの命さえささげた。ある者は、奴隷たちに福音を宣べ伝えて広めるために、自らを奴隷として売り払った者もあった。当時「宣教師のスーツケースは棺桶そのものだ」と言われていた。それでも彼らには、宣教師として、ただ一つ確かなことがあった。それは「私はイエスのために命を捨てます」ということだ。
強い宣教の熱意に駆られ、モラビアの一団がついに船に乗った。その船には、ジョン・ウェスレーも乗船していたのだ。船が嵐に遭遇し、ウェスレーは非常な恐怖におびえていた。しかし、全く恐れる様子のないモラビアの人たちは、その嵐の航海の中で賛美と祈りをささげていたのだ。こうしてウェスレーは、聖霊の光の中に導かれたのである。(続く)
■ オランダの宗教人口
プロテスタント 18・3%
カトリック 25・7%
ユダヤ教 0・2%
イスラム 5・5%
無神論 46・9%
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