「『主よ、あなたがかつてなされたことを、もう一度、私たちの時代にしてください。ここに私がいます。私を遣わしてください』。神は今日、膝をついて、真摯(しんし)にそう祈る者を求めておられます」。そうチャレンジするのは、かつてブラジルで宣教師として働き、「オプウェッキング」でディレクターを務めていたルーベン・フラッハ氏だ。オプウェッキングは、オランダで開催される最大級の集会で、毎年6万3千人ものキリスト者が参加している。
フラッハとそのチームは、オランダ全土の教会や団体が参加できる、1年間にわたる不断の祈りを呼びかけている。ハラッハは、神は何世代にもわたってリバイバルをもたらすことができると強く訴えた。
18世紀初頭の1720年、ドイツのニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵は、若い頃にイエス・キリストを信じ、知るようになった。彼の人生を変えた劇的な体験は、ドメニコ・フェティの絵画「Ecce Homo(この人を見よ)」に出会ったときに訪れた。その絵の下には「この痛みは、私があなたのために耐えたものだ。あなたは、私のために何をしたのか?」というラテン語の銘が刻まれていた。
その瞬間から、ツィンツェンドルフ伯爵は、自分の人生を神にささげることを決心した。迫害を受けていたモラビア派の人々を歓迎し、彼らをかくまって住まわせるために、彼の大きな所領に住居を建てたのだ。その場所の名は「ヘルンフート」、すなわち「主の見張り人」である。
しかし、時がたつにつれ、住民の間に大きな分裂と二極化が生じた。町を建設し、難民を受け入れた伯爵を反キリスト者だと非難する者さえ現れた。神が彼に与えた幻を守るため、伯爵は居城を後にして、自ら所領に移り住んだ。彼はモラビアの指導者たちと共に一晩中祈った。すると彼らは、一致と交わりの礼拝を行うように神が導いておられると強く感じた。伯爵は自ら家々を訪問し、人々を招待したのだ。
その特別な礼拝には全員が出席した。彼らが聖餐式を共に祝うと、聖霊が豊かに注がれたのだ。そして神の臨在とその力とは、まるで目に見えるかのようだった。奇跡としるしがあり、人々は聖霊の感動にあふれた。最も力強い働きは子どもたちの間にあった。子どもたちはさらに強く求め、野原で祈っていた。すると力強い認罪が起き、聖化と回復を望むようになったのだ。これら全てのことは、たった一人の男が神の呼びかけに従おうと心に決めたことに始まった。(続く)
■ オランダの宗教人口
プロテスタント 18・3%
カトリック 25・7%
ユダヤ教 0・2%
イスラム 5・5%
無神論 46・9%
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