看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。・・・看守は・・・「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。・・・彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。(使徒の働き16:24~33)
10月、11月の秋の日々、実り豊かな季節だからこそ、私たちに命まで与えてくださった神様の恵みをしっかりと受け取ってまいりましょう。
信仰を持って生きることは、本来喜びと元気にあふれています。それは、私たちにとって当たり前のことですが、その当たり前と思っていることの中にも、神様からの大きな恵みがあります。その当たり前のものを再発見して、この秋、私たちが恵まれる信仰の鍵を受け取りたいのです。その信仰の鍵とは何か、この物語から受け取りたいと思います。
今日の聖書箇所はパウロの伝道旅行の一部分です。彼らが小アジア(現在のトルコ)のピリピという町で伝道していると、ある一人の女性に付きまとわれてしまいます。彼女は、商人の女奴隷として、悪霊の力で占いをやっている者でした。彼女から「この人は生ける神のしもべです」と大声で叫ばれ、周りから変な目で見られてしまう始末。そんな彼女にとりついている悪霊に向かってパウロが「出て行け」と命じると、悪霊は出て行ったのです。
女奴隷にとっては幸せなことですが、彼女の占いで稼いでいた商人からすると大迷惑な話。パウロたちは商人に訴えられ、逮捕され、牢屋に入れられてしまいます。罪人として捕まり、ムチ打たれ、暗く汚れた牢屋につながれ、明日は殺されるかもしれない。普通なら絶望してもおかしくない状況の中、彼らは普段通りに賛美と祈りをささげていたのです。
すると突然、大地震が起こり、そこにいた看守は目覚めてびっくり。牢屋の扉が全て開いていたのです。看守は囚人が逃げたと思い、絶望しましたが、パウロたちは逃げてはいませんでした。看守は神様の御業に驚き、「どうしたら私たちも救われますか」とパウロに尋ねると、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言われました。
それから、その看守とその家族は洗礼を受け、救いの恵みにあずかったのでした。彼らがピリピの教会で信徒たちの中心となっていったのは間違いないでしょう。神様はパウロたちのピンチを、教会の誕生のために用いられたのです。その鍵は、彼らがいつも通り賛美し、祈っていたことに尽きます。これからの秋の日々、私たちの日常を祈りと賛美に満ちたものにしましょう!
1. 祈りのある日常
あなたの毎朝の祈り、寝る前の祈りを復活させませんか。お昼も聖書を開いて祈りませんか。毎日の日常に祈りを取り戻しましょう。ピリピ4章6、7節に「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば・・・神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」とあるように、あなたの祈りがあなたに幸せをもたらすのです。
2. 賛美のある日常
私たちは主キリストを褒めたたえたいのです。詩篇の34篇1、2節には「私の口には、いつも、主への賛美がある。・・・貧しい者はそれを聞いて喜ぶ」とあります。この詩篇を歌ったダビデは王でありながら、経済力や軍事力に頼りませんでした。彼は自分の命、人生を賛美のある生き方として表現したのです。同じように私たちも、神様に喜ばれる感謝と賛美をあふれさせる者でありたいと思います。賛美と祈りのある日常を取り戻してまいりましょう。
◇