2017年2月、スーダンのオマル・アル=バシール大統領がヤセクの即時釈放を命じ、彼は大統領恩赦を受けてチェコに帰国することができた。(第1回から読む)
帰国するとヤセクは、自分が刑務所で過激派の聖戦主義者たちに拷問を受けていた間、人々の祈りによる主の不思議な守りの中に自分がいたことを知った。ヤセクの妻は、夫が遠い異国の地で投獄されていた間、地元でバイブルスタディーに参加していた。ある時、バイブルスタディーのリーダーが突然スタディーを中断し、ヤセクが置かれている場所に神の臨在があることを祈るように促された。
「私が家に帰ったとき、それはまさに私がイスラム教徒たちに殴られていたその時であったことに気が付きました。私のために祈る妻や仲間たちの祈りと主の臨在に守られ、同じ時に私は超自然的な平安を感じていたのです」
「私のスーダン滞在予定は、当初たったの4日間でしたが、それは445日間になりました」「全ての苦難を考え、主が私たちを通して行われたことを振り返って見るとき、私たちはこれ以外に何を言うことができるでしょう。すなわち『天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ書55:9)ということです。また使徒パウロもこう言っています。『確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(2テモテ3:12)と。私は、一度失われた自分の命が戻ってきたように感じました。最初は処刑されると脅されました。次に終身刑です。そしてその後、一度死んでいた私の命は戻されたのです。私は主にこう言いました。『私の人生はもう私のものではありません。それはあなたのものです』と」
治安の悪いスーダン情勢を鑑み、安全のために準備した予備用のパスポートが仇となって、当初たった4日間の滞在予定が445日にも及ぶ考えられないような苦しい獄中生活を強いられたヤセクだが、そのような極限の状況の中でも、妻や仲間たちの祈りに支えられ、主の臨在から来る超自然的な平安が彼と共にあった。何という励ましだろうか。
しかもヤセクは、その極限状態の獄中で多くの人々を生けるキリストへと導いたのだ。そう、ことの顛末(てんまつ)から見れば、それは単なる手違いや脈絡なく降りかかった災難などというものではなく、ヤセクは、あの獄中にいて罪に死んでいた人々に、罪の赦(ゆる)しと永遠の命の希望の福音を宣べ伝えるために遣わされたのだ。
ややもすると情勢不安定な無法状態にあるスーダンのような国では、極刑や無期懲役に服することも十分あり得るのだが、しかし主は彼を捨ておかず、再び自由の身にしてくださった。「死んでいたものを生かす神」の恵みに触れたヤセクは、献身を新たにより一層主に仕える者とせられたのである。
神がなさることの麗しさに、まさに息をのむような証しではないか。主の御名をたたえよう。このような、地の果てまでも出ていくヤセクのような奉仕者の働きの結実と、さらなる前進のために祈っていただきたい。
■ チェコの宗教人口
カトリック 20・1%
プロテスタント 2・8%
イスラム 0・1%
無神論 71・4%
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