1837年。28歳のリンカーンは、弁護士を開業するためにスプリングフィールド市に移住した。まずは事務所を確保しなくてはならない。彼は大きな雑貨店の店主ジョシュア・スピードの所を訪ねた。
「はい、いらっしゃい。何を差し上げましょう?」「私はこの町に引っ越してきたばかりなんですが、夜具一式頂きたいんですが・・・」。しかし、リンカーンは一銭もお金を持っていなかった。
「どうしましたか?」「いや・・・実はお金を持ってないんです。気の毒な人の弁護をしてあげたくてこれから弁護士になるんですが、弁護料をもらってからこの代金をお支払いします」
スピードは、穴の開くほど相手を見つめていたが、突然大声で笑い出した。「あんたは面白い人だ。かわいそうな人の弁護をしたいと? 気に入ったね。よろしい。あんたが弁護士の仕事ができるように部屋を貸してあげよう。それから、夜具一式は私からあんたへの贈り物だ」。どういうわけか、すっかりリンカーンが気に入ってしまったスピードは、事務所と住居を兼ねて2階の空き部屋を貸してくれ、弁護料が入ってから家賃を払えばいいことになった。
こうして、この場所でリンカーンは法律事務所を開いたのだった。しかし、なかなかここを訪れる客はなく、一人の依頼人も来ない日が続いた。それでも、リンカーンは平気で、毎日勉強をしていた。そんなある日。州の役人が訪ねて来た。スピードに案内されたこの役人は、じろじろと部屋を眺めているきりで、なかなか用件を言わない。実はこの役人は、リンカーンがニューセーラムの郵便局長を務めていたとき、政府に未納になっている郵便料金17ドルの徴収に来たのだった。しかし、訪ねた先の本人の生活ぶりがあまりに貧しく惨めだったので、気の毒になってしまったのだった。
「何かご用でしょうか?」そう尋ねると、ようやく相手は口を開いた。「・・・いや、実は、私は政府の郵便料金徴収係でして・・・」。すぐにリンカーンは理解した。「ああ、やっと来てくれましたね。いつも1年おきにはきっと徴収してくださるのに。この4年ばかりちっとも来なかったので困っていました。どこへ行くにもこの17ドルの金を持って歩いていましたので」
リンカーンは安心したように、にこにこしながら古いカバンの底をかきまわし、古い靴下をつかみ出した。そして逆さにすると、銀貨や銅貨がゴロゴロと転がり出して足元に散らばった。彼は村の人たちが手紙を出すたびに局に収めた郵便料金を長い間保管していたのだった。そして、どんなに貧困に苦しめられても、これに手をつけずにいたのである。「リンカーンさん。あなたのように正直な人見たことありませんな」。役人は感心したように言って17ドルの領収書を置いて帰っていった。
ジョシュア・スピードは、ポンとリンカーンの肩をたたいた。「あなたは一文なしと言ったけれど、ちゃんと17ドルのお金を持っていたじゃありませんか」。すると、リンカーンは首を振って言った。「だって、あれは政府の公金ですよ。私個人の金じゃありません。私は、たとえ飢え死にしても、あのお金には手をつけたくなかったんです」
店に帰ったスピードは、首を振り振りつぶやいた。「ふうん。驚いたねえ。あんな正直な人もいたんだねえ。ああいう人には神様がついている。そうとも。だからひとたび運が向いてくると、とんとん拍子に出世して、どこまで登り詰めるか分からんぞ」。この時、スピードは何気なくこうつぶやいたのだが、まさかこの人物が将来、アメリカ合衆国の大統領になろうとは思ってもいなかった。
こうして、スプリングフィールドで弁護士を開業したリンカーンは、1842年メアリ・トッドと結婚。長男ロバートが生まれた。しかし、貧乏はいっそうひどくなった。リンカーンは「巡回裁判所」のあとに従って、村々、町々を巡り、人々の弁護をし、わずかな報酬で生計を立てねばならなかったのである。
妻となったメアリは、初めからこの点を不満とし、しばしば夫に文句を言ったものだが、リンカーンの「貧しい人に対する奉仕」の思いは少しも変わることがなかったのである。
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<あとがき>
リンカーンはいよいよ弁護士を開業するために無一文のままスプリングフィールドに移住します。そして無謀にも見ず知らずの雑貨店に飛び込み、店主のジョシュア・スピードに部屋を貸してほしいと交渉します。
スピードは彼と話すうちに、すっかりこの男が気に入ってしまい、事務所と住居を兼ねて2階の空き部屋を貸してくれ、家賃は弁護料が入ってからでいいことになりました。さらに彼を驚かせたのは、リンカーンがかつて郵便局長をしていたとき、政府に未納となっていた17ドルの取り立てに訪れた役人に、ためておいたその金をきちんと払ったことでした。
スピードはこの時、リンカーンの誠実さに打たれると同時に、彼が将来アメリカ合衆国にとって偉大な指導者となることを予見したのでした。リンカーンはこのように無数の人々の援助によって政界に出て行くのですが、それというのも彼の心の中には常に社会の片隅で虐げられ、苦しんでいる人々に奉仕したいという強い思いがあり、それが人を動かしたからでした。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。