本屋さんに行くと、人生論とか成功術などのいわゆるマニュアル本がたくさん置いてありますが、ビジネスにさほど興味がない人でも、松下幸之助、稲盛和夫、スティーブ・ジョブズなどの名前を知らない人はいないと思います。ところが、それらの本に書かれてあることは、彼らの人間観とか生き方であり、どうやったらもうけられるかなどについてはほとんど書いてありません。
なぜなら、ビジネスで大きな成功を収めている人は、お金には執着していないからです。そればかりか、今の自分の仕事や地位にさえ固執していません。どうして彼らは自分が持っているものを失うことに抵抗がないのでしょうか。それは、今まで積み上げてきた自分の土台に自信があり、たとえ今までのものがゼロになったとしても、また最初からやり直せるという自信があるからです。
人生で成功するためにはその土台となる考え方、つまり原理原則と、それを具体化する技術の両方が必要となりますが、人生の原理原則さえつかめている人は、基本的に何をやっても成功します。つまり人生成功の秘訣とは、その原理原則をどうやって身に付けるのかなのです。そこで、私たちの人生においてとても有益な教師を3人ご紹介したいと思います。
1人目は「人」です。人生は出会いで決まるとよくいわれますが、良くも悪くも、私たちは出会う人によって人生が大きく変わります。2人目は「体験」です。今まで自分の人生で犯してきたさまざまな失態の数々。思い出す度に苦い思いが胸を貫きます。もう二度とあんな思いはしたくない・・・。こうした体験こそ、人生最大の教師といえます。ただ、人生の真理を得る度に失敗をしていたのでは、体がいくつあっても足りませんので、この教師は有効ではありますがとても高くつきます。3人目は「聖書」です。
聖書は約2千年間、人々に読み継がれてきた永遠の古典であり、今もって世界最大のベストセラーです。聖書は人類文化の根幹を成し、世界の文学、美術、音楽は、聖書を知らずしてその本質を理解することはできません。ところが聖書には、明らかに読む人の拒否反応を起こさせるような記事がたくさん書いてあります。聖書の排他性に違和感を感じる人が多いのはそのためです。それは、聖書は人のために書かれた本なのですが、人の都合に合わせては書かれていないからです。
従って聖書には一切、脚色も作為もなく、人間の赤裸々な姿がそのまま記してあります。つまり見方を変えれば、聖書は人間の失敗の記録であるといえるのです。世の中、人間の力で何とかなるのであれば、何も神様が登場する必要などありません。ですから自分が失敗する前に、誰か他の人の失敗から学ぶことができれば、人生それに越したことはないのです。
その聖書について、世界の有名人たちが残した言葉の一例をご紹介します。
「いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中には、より確かな真理がある」(ニュートン)
「もし、私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ」(ゲーテ)
「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書です」(ガンジー)
「私の辞書に『悲惨』という文字はありません。聖書はダイナミックなカであり、変わることのない理想を示すものです」(ヘレン・ケラー)
「聖書はただの本ではない。抵抗するあらゆるものを征服する力を持つ生き物だ」(ナポレオン)
「哲学的思考力を持っている人なら、認めざるを得ない事実は受け入れるはずだ。森羅万象が表現している状態から察しても、宇宙は実に全能者の意志の偉大なる成就である。もし、至上の権能者の存在を否定すると言うのなら、自分の知識をないがしろにしているに等しい」(エジソン)
聖書は分厚く、写真もありませんし、聞き慣れないカタカナ表記が列記されている非常に読みにくい本です。しかし、少し我慢して読み続けていくと、「人は人生の日々をあまり思い返す必要はない」とか「死ぬ日は生まれる日にまさる」など、はっとさせられるような言葉がいくつも登場します。それはまさに砂漠の中からオアシスを見つけるかのような体験です。
聖書は、あなたの貴重な時間を使うに値する最高の教師なのです。
聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、人を教え、戒め、矯正し、義に基づいて訓練するために有益です。(テモテへの手紙二3章16節)
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