そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。(ヨハネ3:19)
神の裁きが行われたことにより、2つのことが起きています。
神の真理の光がこの世界に現されているのに悪事をする人は、自分は悪い行いをする罪人だとの自覚があっても、神の真理を求めようとはせず、自分の悪い行いを悔い改めもしないで、悪魔のウソ偽りを愛した結果、神の真理を憎み、神から離れてしまいました。
世の光である神の真理を行う者は、神を愛して聖書の御言葉を実践し、真理を求めて神に近づく者です。その行いの土台を、聖書の言葉としている人です。
「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである」(ヨハネ3:20、21)
真理を行う者は、神の真理を愛しているので、良い行いが伴い、見るところにおいても明らかにされており、イエスをキリストである救い主と告白し、光に属する者で、救われて永遠の命を頂く人です。
神は、それぞれの行いに従って公平に正しく裁かれるお方です。地上で与えられている定められた時を、神を畏れつつ過ごすことを求められています。この世にあっては、誘惑や患難、迫害があったとしても、この地上での選び取りを間違えずに、光の子として天の御国を相続するために主の道を歩み、信仰の勝利者として御国へ凱旋する者となりたいです。
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