私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ15:1~4)
聖書には、神様が私たちを愛し、罪から救い出してくださったという恵みの事実が書かれているのと同時に、その恵みや命を頂くことで、私たち自身も成長できることを語っています。
ローマ人への手紙は、パウロが第3回伝道旅行中に、ローマの教会に宛てて書いた手紙です。そこでは、信仰とは、私たちの内面だけに現れるものではなく、実生活の中でも具体的に現れるものだと語られています。
1. 周囲の人々との言動の中に、自分の信仰の成長を見届けよう!
私たちの人生は、一人で瞑想したり、山にこもって修行したりするものではなく、皆と共に歩んでいくものです。共に歩む中で、自分がどういう人間であるかということは、必ず周りの家族や友人、同僚などに伝わっていきます。
その人たちに対する言葉かけや行動の中に、信仰の成長を見ることができるように注意しましょう。
2. 自分の満足や楽しみで終わらず、目の前の人を喜ばせよう!
パウロはローマ教会の中心的な信徒に「私たち力のある者は・・・弱さをになうべきです」と語っています。私たちクリスチャンは、自分の幸せだけを祈って終わりではなく、家族や友人など、周りの人々の幸せを願い、祈る者でありたいと思います。隣人を祝福し、喜ばせる信仰を持つ者となりましょう。
3. 私たちのために自分を捨てられた主キリストをいつも思い起こそう!
3節「キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです・・・『あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった』」とあります。キリストが地上に来られたのは、ご自分が偉くなったり、褒められたりするためではありません。私たちの罪を十字架の血潮によって贖(あがな)い、救うために来られたのです。
これが信仰の根幹です。私たちを救うために、命まで捨ててくださった、このお方を信仰の目標としようではありませんか。少々、自分を犠牲にすることがあっても、周りの人々を喜ばせましょう。強くない人の弱さを担うことによって、私たちもキリストの十字架にあずかる生活をしていることになります。
4. 自分の信仰の中に忍耐と励ましにつながる要素を育てよう!
パウロは4~6節で、心を一つにし、神様を褒めたたえ、成長するようにと励ましています。ここでは「忍耐」と「励まし」という言葉が二度使われています。時間がかかり、与える一方かもしれませんが、周りの人々が幸福になることで、大きな恵みを受け取ることができます。
あなたの信仰生活の中に「忍耐」「励まし」という要素が出てきますように。イエスの十字架を仰ぎつつ、この秋、粘り強い、腰の座った信仰を与えられてまいりましょう。
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