中絶や余剰胚の問題への理解と「いのちの尊さ」を呼びかけて行進する「マーチフォーいのち(いのちの行進)」が16日、日比谷公園(東京都千代田区)を出発点に行われた。クリスチャンを中心に約150人が参加し、銀座の目抜き通りを「いのちだいじに」「中絶やめよう」などと書かれた横断幕やプラカードを持って練り歩いた。
海外では「マーチフォーライフ」と呼ばれるこの運動は、米連邦最高裁が1973年、中絶を憲法上の権利とした「ロー対ウェイド」判決を出したことを受け、翌74年から米首都ワシントンで始まった。毎年、判決が出された1日22日に合わせ、中絶反対を訴える大規模集会や行進が行われてきた。
日本では2014年から毎年この時期に開催され、今年で10回目を迎えた。昨年までは「マーチフォーライフ」の名称で行われてきたが、「(女性の)選ぶ権利」と「(胎児の)生きる権利」との対立ではなく、「いのち」という言葉の響きに日本人が抱く生命への畏敬の念を世界に発信しようと、今年から「マーチフォーいのち」に改称した。
行進の前に日比谷図書文化館で開かれた集会では、日本におけるプロライフ運動の草分け的存在で、昨年12月に召天した「小さないのちを守る会」前代表の辻岡健象牧師を追悼するときを持った。毎年笑顔で行進に参加する姿などをスライドで振り返りながら、辻岡牧師が作詞した賛美歌「小さないのち」を参加者全員で合唱。同会代表の國分広士牧師があいさつし、感謝の意を伝えた。
米国に本部を置く国際プロライフ団体「ヒューマン・ライフ・インターナショナル」のアジア地区担当ディレクターを務めるリガヤ・アコスタ氏は、日本政府が少子化対策に力を入れる一方で、4月に承認された経口中絶薬や6月に施行されたLGBT理解増進法は「どちらも子どもが生まれなくなるためのもの」と指摘。日本で毎年多くの胎児が中絶により命を落としている現状に深い懸念を示した。
自身も貧しい家庭の出身で、11人きょうだいの9人目として生まれたことに触れつつ、「もし私の両親が、9番目に授かった子を中絶していたら、私が今ここで皆さんとお会いできることはありませんでした。考えたことはあるでしょうか。イエスの母マリヤがもしイエスを中絶していたら、私たちの救い主は誕生しませんでした」と語った。
同時に、中絶を決めた女性たちを一方的に責めることはできないとも指摘。中絶が、胎内の「生きた人」である赤ちゃんを殺してしまう行為であることを十分認識できていなかった可能性に触れつつ、「中絶産業は、中絶を衛生的なものとして見せかけることに成功しています。中絶を美化し、赤ちゃんの死については全く話さないのです」と語った。
さらに、「本当に恐ろしいのは、中絶産業が赤ちゃんの死によって非常にお金もうけをしていることです。中絶された赤ちゃんの体の組織や細胞を、ワクチン開発などのために売り、お金にしているのです」と話した。
体外受精などの生殖補助医療で生じる余剰胚の問題についても同様だとし、「人の受精卵がまるで実験用のマウスであるかのように扱われています」と指摘。「人のいのちは、神様からの最も尊い贈り物です。まだお母さんのお腹の中にいる子どもにも、人種や宗教、健康か不健康か、その他いろいろな特徴にかかわらず、人であるというだけで、本質的で絶対的な価値があるのです」と話した。
日本のプロライフ運動を研究する麗澤大学国際学部准教授のジェイソン・モーガン氏は、米国では昨年「ロー対ウェイド」判決が覆ったものの、約半世紀にわたって同判決が米国社会に与えた悪影響は大きいと指摘。伝統的に「お母さん」と「いのち」を大切にしてきた日本の文化は「全世界のプロライフの将来かもしれない」と語り、「日本の文化をもっと世界に知ってもらいたい」と話した。
実行委員会代表でカトリック信徒の池田正昭さんは、「日本のプロライフ運動は、世界的なプロライフ運動のうねりに大きな影響を受けて始まりましたが、10年目を迎えたこれからは、いのちを大切にする豊かな感性を持っている日本の文化を、世界に発信する運動にしていければ」と話した。