米国の著名なテレビ伝道者で保守派の重鎮だったパット・ロバートソン(本名:マリオン・ゴードン・ロバートソン)氏が8日午前、米東部バージニア州バージニアビーチの自宅で死去した。93歳だった。
キリスト教テレビ局「クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク」(CBN)や、キリスト教指導者の養成を目指す「リージェント大学」、人道支援団体「オペレーション・ブレッシング」、保守派キリスト教徒の政治団体「クリスチャン連合」などを設立。1988年の米大統領選では、共和党の予備選に出馬し、候補者の一人としてジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)氏らと指名争いをした。
1930年、同州レキシントン生まれ。父は、保守的な民主党上院議員のアブシャロム・ウィリス・ロバートソン。生涯をかけて愛用した「パット」というニックネームは兄が付けた。
大学卒業後、海兵隊員として朝鮮戦争に従軍。帰国後、名門イェール大学の法科大学院で学ぶが、司法試験に失敗。その頃にボーンアゲイン(新生)のキリスト教徒となり、ニューヨーク聖書神学校(現ニューヨーク神学校)で学び、59年に神学修士号を取得。61年には按手(あんしゅ)を受け、南部バプテスト連盟(SBC)の牧師となった。
テレビ伝道の召命を強く感じたロバートソン氏は、地元の同州ポーツマス近郊のテレビ局を買収し、60年にCBNを設立。当時は資金がほとんどなく、自身の所持金が70ドル(約1万円)、CBNの法人口座の残高がわずか3ドル(約400円)という時もあったという。
CBNで66年に始まった日替わりトーク番組「ザ・700クラブ」は、現在も続くテレビ史上最も長く放送されている番組の一つ。ロバートソン氏は、2021年までの長きにわたってメインキャスターとして番組に携わった。
番組では、イスラエルのイツハク・ラビン元首相や、当時はジョージア州知事であったジミー・カーター元大統領ら、著名な政治指導者らとのインタビューを実現。1980年の米大統領選では、保守派の指導者の一人として、ロナルド・レーガン元大統領の当選に一定の役割を担った。
88年の米大統領選では、自らが共和党の予備選に出馬。最終的には父ブッシュ氏に負けるものの、初戦のアイオワ州党員集会では父ブッシュ氏を押さえて2位となり、政界を驚かせた。予備選敗北後も、前年に設立したクリスチャン連合を通して、多くの福音派票を動かすことで政治的影響力を広げた。
一方、ロバートソン氏が予備選敗北後に復帰したCBNは、グローバル化を進め、衛星放送を利用することで、100言語以上・150カ国以上で番組を視聴できるようにした。
この他、77年には「世界を変えるキリスト教リーダーシップ」の創出を目指して、リージェント大学の前身となるCBN大学を同州バージニアビーチに設立。ロバートソン氏は、設立から一貫して学長を務めた。
また78年には、オペレーション・ブレッシングを設立。同団体は現在、90カ国以上で人道支援活動を行っており、日本でも東日本大震災の発生を契機に活動を開始。日本支部であるオペレーション・ブレッシング・ジャパンが、緊急災害支援や復興コミュニティー支援、心の支援などを行っている。
晩年は、2017年には落馬、18年には脳梗塞で入院するも、いずれも退院後すぐに「ザ・700クラブ」に復帰。CBNの放送開始60周年となる21年に引退を発表するまで、メインキャスターとして番組を導いた。
22年には、70年近く連れ添った妻のデデ・ロバートソン(本名:アデリア・ロバートソン)さんを先に天に送っている。2人の間には、男2人、女2人の計4人の子どもがおり、孫は14人、ひ孫は24人に上る。
息子の一人であるゴードン・ペリー・ロバートソン氏は現在、CBNとオペレーション・ブレッシング・インターナショナルの会長を務めており、父の引退後は「ザ・700クラブ」のメインキャスターを務めている。