国際宣教団体「オペレーション・モビライゼーション」(OM)を創設し、世界宣教に力を注いだことで知られる米国人伝道者のジョージ・バウワー氏が14日、84歳で死去した。
OMインターナショナルは15日、フェイスブック(英語)でバウワー氏の死去を発表し、遺族のために祈るよう求めた。
「涙を持って、ジョージが私たちにとって大切な存在であったことに感謝し、そして今、彼が忠実に愛し仕えたイエスと共にいることに慰められています」
「メキシコへの学生宣教旅行を率いていた活動初期から、世界中の海岸に福音を広めるための船舶を夢見ていた頃まで、本に対する情熱、真の人間関係、最も手の行き届いていない人々への全人的ケアを通じて、ジョージは神の愛を伝えるために、出会った人々に挑戦と刺激を与え、自身の革新的な人生によって、人々に説いたことを真に実践しました」
全インド・キリスト教協議会(AICC)会長のジョセフ・ドゥソウザ大主教(インド良き羊飼い教会)は、米キリスト教メディア「クリスチャンポスト」に掲載した追悼記事(英語)の中で、次のように述べている。
「ジョージは、聖霊の風がどこに吹いているかに常に注意を払い、発展途上国に成熟した教会が出現すると、その教会が持続可能になるよう支援することに力を注ぎました」
「ジョージは、白人の宣教指導者として初めて、(キリスト教が)多数派の世界で始めた自身の活動を、現地人が主導できるようにした一人でした。ジョージは人種差別をすることはないのはもちろん、他の誰をも自分より劣った人として扱うことをしませんでした」
ドスーザ大主教はまた、OMのインドにおける宣教活動を称賛し、それはOMの他国における活動を全て合わせたよりも広範囲に及ぶものだったと述べた。
「当初から、聖霊に導かれたジョージの本能的直感は、西洋で行われていたものとは異なる方法で、インドでの働きを構築するように彼を導きました。その最初期から、リーダーシップはインド人たちの手に任され、地域レベルで戦略と宣教学を展開するための完全な自由を与えられていました」
バウワー氏は1938年、米東部ニュージャージー州で生まれた。10代の頃に、ニューヨークで開かれた米大衆伝道者ビリー・グラハム氏の伝道集会に参加し、その人生をキリストにささげる決心をした。
大学在学中の57年から海外伝道に力を入れ始め、2人の友人と共に所持品を売るなどして資金を調達し、その年の夏にメキシコに行って、スペイン語のトラクト2万枚とヨハネの福音書1万冊を配布する宣教旅行を行った。
ムーディー聖書学院に転入学し、在学中に知り合ったドレナ・クネヒトさんと60年に結婚。3人の子どもをもうけた。
その後、欧州に拠点を移し、そこでOMの働きを確立。他のプロジェクトに専念するため、2003年に退任するまで、40年余りにわたってOMを導いた。
OMはその間、バウワー氏の熱烈なリーダーシップの下、福音を聞いたことのない人々に福音を伝えたいという、さまざまな国のクリスチャンたちの情熱に後押しされ、1960年代、70年代、80年代と拡大を続けた。
70年には、世界宣教と青少年たちの訓練のために、全長80メートルを超える大型船舶を購入し、「ロゴス号」として就航。現在は4代目となる「ロゴスホープ号」が運航しており、昨年購入した5代目の「ドゥロスホープ号」も、今年5月の就航を予定している。
各船舶内には、大規模な書店が構えられており、これまでにこの船上書店には4900万人以上が訪問。各船舶が訪れた国・地域は合計で151カ国・地域に上り、7千万部以上の聖書を配布してきた。
OMは、バウワー氏の生涯について、「彼の本物の生き方と福音を広めることへの熱意は、数え切れないほど多くの個人や教会を、より計画的な宣教へと導きました」と伝えている。
バウワー氏はまた、『Confessions of a Toxic Perfectionist and God's Antidote(有毒な完璧主義者の告白と神の解毒剤)』『Revolution of Love(愛の革命)』『Out of the Comfort Zone』(邦訳本『地の果てにまで福音を』)のほか、mess(乱雑・混乱・窮地)と missiology(宣教学)を掛け合わせた造語をタイトルに据えた『Messiology』など、複数のベストセラーを執筆している。