2018年11月17日、インド洋の孤島「北センチネル島」で一人の米国人男性宣教師が命を落とした。ジョン・アレン・チャウさん(当時26)。その名前がこのほど、米オクラホマ州バートルズビルにある殉教者記念碑に刻銘された。
記念碑は、迫害下にあるキリスト教徒のために活動している超教派の宣教団体「殉教者の声」(VOM)の本部にある。幅約18メートルの花こう岩でできた石碑で、チャウさんの名前は、VOCが「キリスト教殉教者の日」としている6月29日に刻銘された。この日は、キリスト教の歴史において、使徒パウロがローマで殉教したことを記念する日とされてきた。
同州にあるキリスト教大学「オーラル・ロバーツ大学」を2014年に卒業したチャウさんは、北センチネル島に宣教のため訪れたが、先住民のセンチネル族に殺害された。北センチネル島は、インド本土から約1千キロ離れたベンガル湾南東部に位置し、アンダマン諸島に属する周囲約30キロの小さな島だ。島に住むセンチネル族は、外部との接触を強く拒否する非接触部族で、「地球上で最も孤立した部族」とされている。
VOM(英語)によると、チャウさんは漁師たちの船に乗って北センチネル島に向かう前日の14日、手記に次のような祈りを書いていた。
父なる神様、私を用いてくださり感謝します。あなたの大使となるように私を形づくり、訓練してくださることを感謝します。聖霊様、どうか(北センチネル島の)部族が私を受け入れるよう、その心を開いてください。そして私を受け入れることによって、あなたも受け入れますように。あなたの御国と支配、統治が今、北センチネル島にありますように。おお、父よ、私の命はあなたの御手の中にあります。だからその御手に私の霊を委ねます。
15日、チャウさんは漁師たちの船で北センチネル島を訪れ、夜明け前に上陸した。そして、島での滞在に必要な物資を入れたケース2つを地中に埋めて隠した。その後、カヤックで海岸沿いを進み、魚やその他の贈り物を島の住民に届けることで、自身の善意を示そうとした。「私の名前はジョンです」「皆さんを愛しています。イエス様も皆さんを愛しています」。チャウさんはそう叫んだという。
そして、センチネル族の数人がチャウさんの前に初めて姿を現した。彼らは最初、弓に矢をかけていない状態だったという。しかし、矢を射ってきたため、チャウさんは矢が届かないところまでカヤックを漕いで逃げ、一度船に戻った。
しかしその日の午後も、チャウさんは再び接触を図る。より多くの贈り物を持って向かったチャウさんは、一人でいたセンチネル族の少年に最初よりも近づくことに成功する。しかし、再び矢を放たれ、その矢はチャウさんが持っていた防水仕様の聖書にぐさりと刺さった。
矢の先が止まったページの最後は、イザヤ書65章の最初の2節だった。そこには、次のように記されていた。
わたしに尋ねようとしない者にも、わたしは、尋ね出される者となり、わたしを求めようとしない者にも見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも、わたしはここにいる、ここにいると言った。反逆の民、思いのままに良くない道を歩く民に、絶えることなく手を差し伸べてきた。(イザヤ65:1~2)
この2回目の接触時、チャウさんは恐怖心を与えないよう、カヤックから降りていたという。島を離れるときには、パスポートを置いていたカヤックを残したまま、泳いで船まで戻った。さまざまな出来事が起こったその日、チャウさんは、自分の心の内を手記につづっている。それが後に、漁師たちの手によって、クリスチャンの友人たちの元に渡ることになった。チャウさんはこの日、次のように書いている。
今の計画は、船で休んで寝て、(翌日の)朝になったら、荷物を隠した場所に降ろしてもらい、そして浜辺を歩いて、贈り物を渡したあの同じ小屋まで行く。何だか変な感じがする。実際、これは変なことではない。自然なことだ。怖い。ほら、言ってしまった。落ち着かないし、自信もない。歩いて彼らに会いに行く価値はあるのだろうか。今、彼らは私を贈り物と結び付けている・・・。主よ、あなたは近くにいてくださいます。もしあなたが、私が実際に矢で射られたり、殺されたりすることを望むなら、そうしてください。でも、生きている方が役に立つと思います。でも、神様、どんなことが起こっても、あなたに全ての栄光をささげます。死にたくありません! ここを離れて、他の人に任せた方が賢いか。いや、そうは思わない。パスポートもないし、電波もないし、どうせ私はここで立ち往生している。ここにとどまることは、ほとんど死と同じように思えるけど、どうにかして米国に戻ることもまだできる。でも、たった1日に2回会っただけで、明らかな変化が起きている。明日もう一度やってみよう。
また、その日の夕方には次のように書いている。
夕日を見ている。きれいで、少し泣けてくる。太陽が沈まない場所(天国)に行く前に見る最後の夕日になるのだろうか。少し涙が出てくる。神様、死にたくありません。もし死んだら、誰が私の代わりをするのですか。なぜ今日、あの小さな子が私に弓を射らなければならなかったのだろう。彼の甲高い声がまだ頭の中に残っている。父よ、彼と、私を殺そうとするこの島の人々をお赦(ゆる)しください。特に彼らが成功した場合(私を殺した場合)はお赦しください。主よ、私を強くしてください。あなたの強さと守りと導き、あなたが与えてくださる全てのものが必要です。私の後を継ぐ者が誰であれ、それが明日以降になるのであれ、また別の日になるのであれ、どうか彼らに倍の油注ぎを与え、力強く祝福してください。
16日の早朝には、家族に向けて次のようにつづっている。そしてこれが、チャウさんが残した最後の文書となった。
みんなは、僕が完全に狂っていると思うかもしれないけど、僕は、この人たちにイエスを伝えることは価値あることだと思っている。もし僕が殺されても、彼らや神様に怒りをぶつけないでください。むしろ、神様が召しておられることに対して従順に生きてください。そして、みんなが垂れ幕(※ヘブライ10:20参照)を通ったとき、また会いましょう。これは無意味なことではなく、この部族の永遠の命はすぐそこにあるのであり、僕は黙示録7章9~10節にあるように、彼らが神の御座の周りで彼らの言葉で礼拝しているのを見るのが待ち遠しいのです。みんなのことを愛しているし、イエス・キリスト以上にこの世を愛している人はいないのだと祈っています。
チャウさんの手記によると、チャウさんは16日朝に、北センチネル島に上陸させてもらった後、徒歩でセンチネル族への接触を再び試み、翌17日に漁師たちに引き揚げてもらう計画だった。船が沖にあることで警戒感が薄れると考え、またそれが漁師たちを守ることになるとも考えたからだった。手記には、「もし徒歩でうまくいかなかった場合、漁師たちは僕の死の目撃者にならずにすむ」と書かれている。
しかし17日朝、漁師たちは、センチネル族がチャウさんとみられる遺体を浜辺に埋めているのを目撃することになった。(続く)