4月29日に73歳で天に召されたシンガー・ソングライターで牧師の小坂忠さん。追悼告別式には約千人が訪れ、最後の別れを告げました。会場では、日本国際ギデオン協会提供の聖書も配布されましたが、小坂さんが最初に手に取った聖書も、同協会の聖書でした。小坂さんが、同協会の会報誌「The Japanese GIDEON」(1999年2月号)に寄せた救いの証しを、同協会とご遺族の許可の下、掲載します。
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私が救われたのは、娘の上に起きた⼀つの痛ましい出来事がきっかけでした。娘は当時2才の可愛い盛りでした。私は音楽の仕事をしていまして、当時は⽇本各地を精⼒的にコンサートで回っていました。家で娘と過ごす時間はそんな私の唯⼀の楽しみでした。その⽇もいつもの様に妻の実家で平和な時間を過ごしていたのですが、突然の家中に響く叫び声に台所に⾏ってみると、娘が床の上で叫びもがいているのです。テーブルに置いてあった熱湯の入った鍋をひっくり返して、頭からその熱湯を浴びてしまったのです。すぐに娘を抱いて近くの病院に駆け込みました。処置は数時間にも及びました。なにしろ頭から熱湯をかぶってしまったのです。全身の⼤火傷です。⼿当てを受けている間も娘の泣き声は止みませんでした。
やがて、体全体に包帯が巻かれ、⼿当ては終わりました。私の心配は、火傷の跡が奇麗に治るかと言う事でした。医者に聞いても、「ベストは尽くしたので、後は時間がたってみないと分からない」と言う事でした。そんな答えで私の心配がなくなる訳ではありません。私の頭には、「もし治らなかったら・・・」と言う悪い想像しか浮かんでこないのです。そんな私達のところに家内の祖母が訪ねて来てくれました。「あんたたち、気を落としちゃだめだよ。神様がついているからね」と祈ってくれたのです。そして、私達を教会に連れていってくれました。それが私にとって教会に⾏った初めての経験でした。教会では牧師と数人の信徒が娘の為に祈ってくれました。それから1カ⽉後に、娘のあのひどい火傷は奇麗にいやされていたのです。不思議ですが、私は神様が祈りに答えてくれたんだと思いました。
そして今まで神なんか気休めにすぎないと思っていた私が、急に神について知りたくなったのです。早速家に帰って、聖書を探しました。祖母がプレゼントしてくれた聖書があったのです。それがギデオンの聖書でした。聖書を読めば、神について知る事が出来ると思ったのですが、すぐに⾃分では無理だと思いました。それで⽇曜⽇の礼拝に⾏く事にしたのです。当時ミュージシャンとして仕事をしていた私には、日曜の朝は起きるのがつらかったのですが、それでも家内に助けられて教会に通い続けました。
「神はじつにそのひとり子をお与えになった程に世を愛された」。イエス・キリストの⼗字架と神の愛を初めて知りました。私は娘の苦しみの声を聞いているのが耐えられませんでした。出来る事なら、娘と代わって⾃分が苦しみを受けてあげたいとさえ思ったのです。ひとり子を十字架につけてさえ私達を救おうとされた神の愛の⼤きさが分かったのです。神の愛を知ったら、嬉しくて涙が出て来ました。神の愛を無視し、神と無関係に⽣きて来た⾃分の人⽣を悔い改め、その愛を受け取ったのです。
それからは、音楽でこの神の愛をお伝えする為に献身して働き始めました。1988年にはミクタムと言う音楽ミニストリーを設立し、各地でコンサート伝道をしています。ミクタムが主催する「出会いのコンサート」では、来てくれた若者達に、ギデオンのご協⼒を得て、聖書を配布させて頂きました。その中から、かつての私の様に聖書を通して神との出会いが⽣まれたらと願っています。現在は、1991年から⾃分の母教会で牧師としても仕える様になりました。主の御名を崇めます。