シンガー・ソングライターで牧師(日本フォースクエア福音教団秋津福音教会の宣教牧師)の小坂忠さんが大きな手術を乗り越え、日本長老教会姉ヶ崎キリスト教会(梶川登牧師、千葉県市原市)で28日、復帰後初めてチャペルコンサートを行った。退院してまだ3週間だが、元気な姿で登場し、90分間にわたって、変わらぬ艶(つや)のある力強い歌声を、集まった約100人の観客の前で披露した。
小坂さんは7月末に体調不良を訴えて緊急入院。8月31日、10時間に及ぶ大手術を受ける前には、全国に祈りの輪が広がった。小坂さんは2カ月間もの入院生活を余儀なくされ、50日間の絶食で15キロも体重が落ちたが、10月初めに退院した。
「今日が復帰後初めてのコンサートとなりました。おなかを切っていますので、昨日、医者から『コルセットをしっかりして、あまり力を入れないように』と言われてきました。あまり大きな声を出すと、縫った後が裂けてしまうかもしれませんから、気を付けなければいけませんね」
そうユーモアを交えて話すと、会場からは大きな笑いとともに拍手が起こった。
小坂さんが1曲目に選んだのは、誰もが知っているスタンダードナンバー「Somewhere over the rainbow」(虹の彼方に)。小坂さんが闘病していたことを知るファンの中には、歌声を聞いて安心したのか、涙を流す人の姿も見られた。
「音楽には力がある」と力を込めて話す小坂さん。音楽活動の中で、刑務所や少年院などを訪問することもあるという。ある少年との出会いをこう話している。
「少年院でのコンサートの最後には、必ず出口のところで全員と握手をして見送ることにしています。『誰もそばにいなくても、あなたのことを見ていてくれる神様がいるんだよ』と話し掛けながら別れるんですよ。その時、ある少年が僕に『誰も信じてくれねぇんだよ』と言ったんです。誰も信じてくれない世界に彼はずっと生きてきてるんですよね。彼にひと言、僕は『じゃあ、俺が君のこと信じるよ』って言ったんです。何年かして、今度は刑務所に入っている彼から突然手紙が来ました。刑務所の中で読んだ本の中で、偶然、僕の写真を見つけたようです。それから、彼は教誨(きょうかい)師と聖書の勉強を始めて、その後来た手紙には、『今度、洗礼を受けたいと思っています』と書いてありました。『誰も信じてくれない』という孤独な世界に生きている彼らに、僕は何かメッセージを届けたい。そう思って、このような活動をしています」
昨年、デビュー50周年を迎えた小坂さん。多くのファンを前に当時のヒット曲の一部を披露。観客を楽しませた。その後、小坂さんと共にギター演奏をした佐藤克彦さんのギターに合わせ、「主われを愛す」や「アメイジング・グレイス」などを観客と一緒に合唱した。
コンサートの終盤、自身が信仰に導かれたきっかけを証しした。
「今日は1つだけ、皆さんと聖書の言葉を分かち合いたい。『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネ3:16)。すてきな言葉ですね。神様は、私たち一人一人を愛してくださっているということ。今日、来た皆さんも覚えていていただきたい。誰が見捨てても、誰が離れていっても、神様はあなたを決して見捨てないということです。私の娘が2歳の時、大やけどを負ってしまったことがありました。私は、娘のためにやれることは何でもやろうと思いました。クリスチャンだった妻のおばあちゃんが、『あんたね、そんなに不安だったから、教会に行って祈ってきなさい』と言ってくれたのです。長髪のロックシンガーだった僕が教会に行くのは非常に勇気がいりました。教会ってみんないい人たちがいっぱいいると思ったから。1カ月後、娘の顔はきれいに治っていました。それまで、神様にすがる人生なんてかっこ悪いと思っていた。でも、その時初めて思いました。神様はいるんですよ」
コンサートの最後は「勝利者」という曲で締めくくられた。日本テレビの「誰も知らない泣ける歌」でも取り上げられた名曲だ。2カ月間の闘病生活は、つらく苦しいこともあった。「僕はもうダメかもしれない」と思ったこともあったという。しかし、いつも「僕は神様に愛されている」という大きな希望があった。人生を諦めないで、最後まで神様と共に走り抜ける人こそ、本物の「勝利者」だと話し、コンサートを締めくくった。
コンサートを終えると、一人一人との握手や写真撮影、サインにも気さくに応じた。変わらぬ笑顔と軽快で愛のあるトーク、そしてよりいっそう力強くなった歌声に、小坂さんの「大復活」を感じさせた時間となった。