ロシアのウクライナへの侵攻は、21世紀の国際秩序に照らして、全く承服できない。長引く戦闘は、さらなる市民の犠牲や避難民の増加を引き起こし、戦況を泥沼化させている。ロシアは、西側諸国からの厳しい非難とともに断絶に近い形の経済制裁を受け、完全に国際社会から孤立している。
この侵攻によってロシアが得るものと損失するものとをてんびんにかければ、侵攻を決断する合理性などどこにもない。専門家らは「プーチンは気が狂った、精神病だ」などと分析したが、彼らがそうするのは、深層にある本質が分からないからだ。その本質とは「ロシア人にとってのロシア正教」だ。
ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を書くに当たって「私はこの最後の作品で神の存在を証明したい。その神とは、フランスの神(カトリック)でもなく、オランダの神(プロテスタント)でもない。それはロシアの神だ」と友人に手紙を送った。この「ロシアの神」とは、まさにロシア正教のことである。
70年にも及んで無神論の普及を徹底した共産主義実験は、ロシア人からロシア正教を奪ったのだろうか。否、ソ連崩壊後の怒涛(どとう)のような国民的正教回帰を見ればそれは明らかだ。
この回帰に誰よりも貢献したのが他でもないプーチン大統領だ。彼は正教の普及を推進し、1日に3つの教会を建てたと言われている。10年前だが、モスクワ総主教キリルはこれに感謝し、大統領を「神の奇跡」と呼んだ。プーチン氏が、熱心なロシア正教の擁護者であることはよく知られている。そして、その千年の歴史に及ぶロシア正教発祥の聖地と言っても過言ではない場所が、他でもないウクライナの首都キーウ(キエフ)なのだ。
プーチンにとってこれは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの東スラブ民族の原点と統一の求心力たる重要なアイコンなのだ。彼が去年7月に書いた論文には、彼のそのような心情が切々と吐露されている。
ところが14年のクリミア併合の反露感情から、モスクワ総主教庁の管下にないウクライナ正教会の独立を、モスクワ総主教庁の反対を押し切り、19年1月にコンスタンティノープル全地総主教庁が承認したのだ。
東方正教会では、原則的に1カ国に1つの教会組織を置くが、ウクライナには例外的に、モスクワ総主教庁管下の正教会と独立系の正教会の2つがあり、両者の関係には政治的立場と民族感情が入り乱れ、確執は深まる一方だった。
そこにきて、数的に最大の正教徒会員を誇り影響力のあるモスクワ総主教の意向を無視する形で、名目上は全地の正教会の代表であるにもかかわらず今や教勢においては衰退の一途をたどるコンスタンティノープル総主教が、独立系ウクライナ正教会を承認してしまったのだ。このため両者の間に深刻な亀裂が生じ、今も断絶状態が続いている。
人が、損得の利害を超えた理解に苦しむ決断をするとき、往々にしてそれは背後に宗教的理由がある場合が少なくない。まさに専門家らが見落としているプーチンの決断の理由はこの点で、彼らは背後にある「宗教的霊的理由」という分野には明るくないのだ。
プーチンとロシア正教にとってのキエフとは、十字軍遠征のエルサレムに近い感覚と言えるのだ。もちろん十字軍遠征とその残虐行為は、決して美化できないし正当化もできない。今回の侵攻もそうだ。
このような前近代的な方法に頼るプーチン大統領の過ちとともに、事の深層には、本来平和をもたらすべきキリストの教会たる正教会内部の分裂と反目という霊的事象もある。
表面にある両国の和解とともに、深層にあるロシア・ウクライナ両民族に強い霊的影響を及ぼす両正教会の和解も重要だ。両国、両教会が和解をし、この地が癒やされるよう祈っていただきたい。
■ ロシアの宗教人口
正教 64・0%
プロテスタント 2・1%
カトリック 0・6%
イスラム 12・5%