舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて…言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」(マルコ4:37~41)
人の心は強いように見えて、実は弱いものです。ちょっとしたことでつまずき、落ち込んでしまい、とんでもない罪や悪の力を引き込んでしまうのです。私たちは、週の初めに神を賛美し、礼拝することで心が浄化され、祈りにより神の恵みの世界に引き戻される機会が与えられているので実に幸いです。
今日の箇所で特に40節「信仰がないのは、どうしたことです」というイエス様の言葉に注目します。ここから今年のテーマ、“シン“ 生活宣言から、今日は「信」を取り上げ、本当に信仰を持って信じているのか考えましょう。舟が沈みそうになり、死にそうなときに、弟子たちの信仰が吹っ飛んでいたのです。私たちもコロナ禍の中で不安に陥るかもしれませんが、そのとき私たちが持ちたいのは、世の中の専門家や政治家の情報ではなく、イエスを信じる信仰です。信仰が機能しているか、5つのポイントを考えます。
1. 恐れや不安から解放される
ペテロが水の上を歩いて風を見て沈みそうになったとき、イエス様は「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」と言われました(マタイ14:31)。イエス様を単なる知識ではなく信仰を持って信じるなら、不安や恐れから解放されます。「もう終わりだ」と思うことがあっても、そこでこそ信じたいのです。信じることによって恐れ、不安、疑いから解放されるのです。
2. 義と認められる
ガラテヤ2章16節に「キリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」とあります。私たちの行いではなく、イエスの十字架の贖(あがな)いにより、それを信じ受け入れたから義とされたのです。まさに信仰によるのです。信仰は、私たちが罪のない者とされ、義と認められることを実現する、神の恵みなのです。
3. 神の偉大な力を引き出すことができる
病気の息子の父親はイエスに答えて「不信仰な私をお助けください」と叫びました(マルコ9:24)。人にはできないことが神にはできるのです。信仰を働かせることで神の力を引き寄せることができます。信仰を働かせず、自分の力だけに頼るのはもったいないことです。それなら信仰がなくても変わりません。信仰により神の力によって何でもできるのです。
4. 愛に満ちあふれる者になれる
2テサロニケ1章3節には、信仰が成長することで愛が増し加わると書かれています。信仰が成長していくと人々に対して愛が増し加えられ、霊的にも成長するのです。私たちの信じる対象は誰ですか。私たちを愛し、命まで捨ててくださったイエス様です。そのキリストの愛が増し加えられ、愛に満ちあふれる者となれるのです。
5. 永遠のいのちに到達する
1コリント13章13節に、いつまでも残るものは信仰と希望と愛だと書かれています。この世とこの世に属するものはすべて過ぎ去り滅びます。神様の永遠のいのちにつながるものだけが残るのです。信仰が働いていると、生きながらにして永遠のいのちの約束を頂いているのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)。信仰を持って前進しましょう。
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