コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。(2コリント6:11~13)
今年のテーマ「“シン” 生活宣言!…主キリストと共に歩む毎日!」より、本日は「心」という言葉にスポットを当ててみましょう。「コリント人への手紙」は、パウロがコリントにある教会の兄弟姉妹たちに書き送った手紙です。大きな町であるコリントの教会は当時、多くの問題を抱えていたようです。そこでパウロは、問題解決のためにさまざまなことを教え指導しています。本日開いた11節から13節には、「心」というキーワードが繰り返し出てきます。パウロは「心」という言葉を用いて何とかコリントの教会の人々の心が整えられるように語り掛けています。
今、私たちの心の状態を吟味してみましょう。あなたの心はキリストの愛に満たされているでしょうか。この1年で “シン” 生活を送るにあたり、イエス様の光に照らされた明るい心で歩んでいきたいと願います。パウロは、この手紙の中で「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(5:17)、「今は恵みの時、今は救いの日です」(6:2)と語ります。私たちがイエス様を信じるとき、すべてが新しくなり、神からの愛と恵みを今、頂くことができると言っているのです。ですから、私たちも心を尽くして神様を愛しましょう。心の状態は本当に大切です。3つのことを確認します。
1. 愛と恵みは注がれていることを認める
パウロは、神様はあなたを愛してくださり、恵みは十分に注がれていることに感謝しよう、私は、あなたがたを裁くためではなく、心を開いて福音を語っているつもりだと語ります。私が米国に留学した40年前、飛行機の中では人種差別を体験し、現地では、勉強した英語では通じないことを実感して、とても不安になりました。しかし、クリスチャンが集まる大学や教会で、たくさんの人が私に優しく接し、面倒をみてくれました。神様の愛はいつでも注がれ、兄弟姉妹たちの心も開かれていることを体験しました。私たちは問題にぶつかると、人に責任転嫁をしたり、自分でつまずいたりして不幸を深めてしまいがちです。しかしどんなときであっても、神様の愛は注がれており、神様も主にある兄弟姉妹たちも心を開いて受け入れてくれていることを知りましょう。
2. 自分で自分の心を窮屈にしない
「心」は、時々「器」とも表現されます。自分には神様からの恵みや祝福が与えられない、神様に愛されていない…と思ってしまうと、神様からの恵みを受け止める心の器を自分で小さくしてしまい、それに気付くこともできません。ひねくれたりつまずいたりせず、主の前にへりくだって「私の心を大きくしてください」と祈りましょう。神様の恵みはあふれているのです。その恵みを精いっぱい受け止められるよう、広くて大きな心の器を用意し、前進してまいりましょう。
3. 心を広く、伸びやかに
私たちはいつも心を広くし、主への感謝や喜びで心をいっぱいにしましょう。枯れ果てた井戸をよみがえらせるためには、「呼び水」が必要です。では、クリスチャンには何が必要でしょう。それは、賛美です。神様に感謝して褒め歌をささげるとき、私たちの心には恵みが満ちあふれてきます。さあ、感謝をもって心豊かな “シン” 生活を歩んでまいりましょう。
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