「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです」(2コリント3:6)
2階建ての家に住んでいるおばあさんが、転んで足の骨を折ってしまいました。ギブスをはめた後にドクターが言いました。「治るまでしばらくは、階段を昇り降りしないようにしてください」
3カ月後にドクターが言いました。「もうギブスを外しても大丈夫ですよ」。そこでおばあさんは聞きました。「先生、ではもう階段を昇り降りしてもいいんですか?」ドクターは「はい、いいですよ」
するとおばあさんは安堵(あんど)したようにニッコリ笑って言いました。「よかったわー!もうお隣の家の屋根伝いに2階へ上がるのは限界だと思っていたところでしたから」
このおばあさんは、確かにドクターの忠告は守っていました。「階段を昇り降りしないように」。しかしドクターの「骨の回復のために、安静にするために」というその意図は全然理解していなかったのです。
イエス・キリストの時代の宗教家たちも、モーセの律法の字面は守っていましたが、その精神を踏みにじっていました。「安息日には一切の労働をしてはならない」と主張していた宗教家たちは、イエスが安息日に病んでいる人を癒やすと、医療行為という労働をして安息日の掟を破ったと責めたのです。
それに対してイエスは「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからと言ってすぐに引き上げてやらない者が、あなたがたのうちにいるでしょうか」と言って彼らの矛盾点を指摘しました。規則や決まり事は社会秩序を保つために大切なものですが、それにあまりにも拘泥してしまって人を束縛したり苦しめたり、破滅させてしまっては本末転倒です。「角を矯めて牛を殺す」ということになってしまいます。
新潟に敬和学園という学校があります。1968年に開校し、キリスト教の精神に基づく教育がされています。初代校長は、太田俊雄先生(1911〜88)。非常に優れたクリスチャンの教育者です。この太田さんを信仰に導いたのは、中学の時の英語教師だった柴田俊太郎さんです。
太田さんが中学生の時、ある事件がありました。友人2人が「すき焼きをごちそうしてやる」と言ったので、夕方友人の所を尋ねると「これから森へ鳥を捕りに行く」と言うのです。鳥は鳥目だから夜は見えていないから、すぐ捕れるというわけです。しかし森の手前まで来ると友人たちは「キミはここで待ってろ」と言って2人だけでどこかへ行きました。
やがて一人が脇に鳥を抱えて帰ってきました。鳥は鳥でもニワトリです。近所の農家から盗んできたのです。2人の友人たちは手慣れた手つきで羽毛をむしって、ニワトリをさばいていきます。そして太田さんに言いました。「肉がたくさんあるから、誰か呼んでこい。3人より4人で食べた方がそれだけ罪が軽くなる」
太田さんはその時、なぜか英語の柴田先生の顔が浮かんだので、自転車を飛ばして先生を呼びに行きました。何も知らない柴田先生は「これはうまい」と言って鍋をつつきます。しかし太田さんは、盗んだニワトリだと思うと喉につかえて食べられません。柴田先生が変だと勘付いて「太田どうした?」と聞きます。太田さんはとうとうたまらなくなって白状します。「先生、実は、これは僕たちが盗んできたニワトリです」
柴田先生は一瞬箸を止めましたが、うなだれている3人をジロっと見た後、「えーい!殺してしまったものはしょうがない、この上は全部きれいに食べてやるのがせめてものニワトリに対する礼儀だ。さあ、皆食え!食え!」白状してほっとした3人も盛んに食べました。先生は「1羽なのにニワトリとはこれいかに」と冗談を言って場の空気をほぐしてくれました。
食べ終わると先生は「お腹がいっぱいになったから、ちょっと散歩に行こう」と3人を連れ出しました。そして森の手前まで来ると「どこの農家のニワトリを盗んだのか」と尋ね、その家が分かると「ここで待っていろ」と命じて、その農家に一人で行って帰ってきました。
「深くお詫びして先生が弁償してきた。もう二度とこんなバカなことはするな」と言い、それ以上何もとがめないで帰っていきました。3人の少年の心に一生残る教訓となったのです。
太田さんはこの柴田先生の影響でキリスト教に関心を持ち、やがて洗礼を受け、柴田先生と同じ教育者の道を歩んでいくのです。もし柴田先生がイエス・キリストの時代の律法学者のような先生だったら、3人を叱りつけ、親を呼び出して弁償させ、3人は停学か退学処分になっていたかもしれません。もしそうなっていたら、敬和学園の初代校長は別の人がなっていたと思います。柴田先生は、この出来事を通して3人の少年を救い、そして生かしたのです。まさしくイエス・キリストの心を持った先生だったのです。
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