「イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』シモン・ペテロが答えた。『あなたは生ける神の子キリストです』」(マタイ16:15、16)
朝帰りの酔っ払いが二人、ふらつきながら家路に就いています。すると一人が、白み始めた空を見上げて言います。「おい! 見てみろよ。あのお月様のきれいなこと」。話し掛けられた方の酔っ払いは、そう言われて空を見上げました。「おまえ、何見てんだ! あれはお月様じゃなくて、お日様だよ!」
二人がしばらく「お月様だ! お日様だ!」ともめているところに、別の酔っ払いが通りかかります。二人はその男を呼び止めて聞きます。「すみません! 今私らもめてますので教えてください。あれはお月様でしょうか? お日様でしょうか?」
するとその酔っ払いが言いました。「すみませんなー、ワシはこの辺の者じゃないんで、よう分かりません」
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」。これはイエスが弟子たちに尋ねた質問です。当時、人々の注目を集めていたイエスという人物が誰なのかについて、人々は関心を寄せていました。
「バプテスマのヨハネだ」「エリヤだ」「エレミヤだ」「いや預言者の一人だ」「悪霊につかれた男だ」「偽預言者だ」。しかし誰一人、核心を突いていません。まるで酔っ払い同士の会話を聞いているようです。
これは現代人も同じです。「イエス・キリストとは誰だと思いますか」という質問に対して「キリスト教の教祖」「人生の教師」「社会革命家」「聖人」とさまざまです。「2千年の間に自分でもびっくりするくらい大きくされた人」と皮肉を言う人もいます。
ある小学生は「イエス・キリストはアメリカ人だと思う」と言うので、「どうして?」と聞くと「だって名前がカタカナだから」と答えました。彼にとっては「ガンジー」も「チャーチル」も「プーチン」も全員アメリカ人なのでしょう。
さてイエスの問いに対して弟子たちを代表してペテロが答えます。「あなたは生ける神の子キリストです」。するとイエスは「正解! その通り!」と言われたのです。もし「ナザレのイエス」と呼ばれた人物を「私のキリスト(救い主)です」と本気で信じたならば、その人の人生と生き方に必ず大きな変化が生じます。
仏教の僧侶でありながら「イエスは私のキリストである」と分かったために、キリスト教の牧師になった人がいます。亀谷凌雲(かめがい・りょううん、1888〜1973)さんです。彼は富山市郊外の由緒ある寺の住職の息子として生まれました。両親は後継者として、厳格な宗教教育を施しました。そして東京帝国大学で哲学を学び、卒業後は中学の英語教師となり、お寺の住職になりました。
そんな時、英語の力をもっとつけたいと思い、E・C・ヘガニー宣教師のもとに通い始めました。そこで英語でヨハネの福音書を学ぶうちに、イエス・キリストの中にこそ彼が長い間求めていた救いがあることを発見しました。
人間の死という大問題がイエス・キリストの復活において成就されていることを知りました。「親鸞(しんらん)のことば、道元のことば、日蓮のことば、その慈悲といい、知恵といい、力といい、ことごとくキリストにこそ、さんさんと輝いている。キリストこそ、徹底な真実の仏教の実現者、遂行者であり完成者である」。こうして彼は1917年9月23日洗礼を受けました。凌雲さんはお寺を弟にゆずり、牧師となり19年に教会を開設しました。彼に接する人々は皆、その信仰によって潔められた人格と徳に深く心を打たれたのです。
彼が1951年に出版した『仏教からキリストへ』は多くの人々に読まれてきました。「イエス・キリストを誰だと思うか?」この質問に真摯(しんし)に向き合い「あなたこそ生ける神の子、私のキリスト(救い主)です」と分かったならば、あなたの人生は大きな変化を遂げることでしょう。
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