「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)
あるご婦人が鏡の前に立って、そばにいる夫に向かって嘆いています。「ねぇあなた、私この頃鏡を見るたびに落ち込むの。だって鏡の中の私って、どう見てもおばあさんなんだもの。髪には白いものがいっぱいだし、顔はシワだらけでしょう、お腹はブヨブヨだし脚は太いし、腕にはしまりがないし、腰も少し曲がってきてるみたいだし…。ねぇあなた、何か私を勇気づけること言ってよ!」
夫はしばらく妻を見ていましたが、やがて言いました。「そうだなー、少なくともきみの視力は全然衰えていないみたいだね」
誰でも鏡の前に立って自分の姿を見ることがあると思いますが、そこに映る自分をどう思いますか。あなたは自分で自分をどういう人間だと思いますか。「私はこんな人間です」という意識をセルフイメージ(自己像)といいます。人の行動や発言は、その人のセルフイメージと深い関わりがあります。
「私は親切な人間である」というセルフイメージを持つ人は、困っている人を見ると助けたくなります。「私は優しい人間である」と思う人は、他人を故意に傷つけたりはしません。逆に「私は何をやってもダメな人間である」と思う人は、新しいことに挑戦することもなければ、たとえやったとしても失敗する可能性が大きいと思います。私たちは健全なセルフイメージを持つ必要があります。
そのためには、私たちの作者である創造主なる神のことばに耳を傾ける必要があります。なぜなら、人間の評価は間違っていることがしばしばあるからです。創造者は私たちに言われます。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い」
つまり、私たちには存在価値があるということです。神の目には、存在しなくてもいいという人間は一人もいないのです。また「わたしはあなたを愛している」と言われます。私たちは、創造者に愛されている存在なのです。そして、神は私たち一人一人に「わたしはあなたを愛しているよ」と語り掛けてくださっているのです。その声に耳を傾けることができる人は、健全なセルフイメージを持つことができるのです。
米国のある大学病院の小児科病棟に、ナンシーという名前の女の子が入院してきました。彼女は3歳ですが、体は1歳半ほどの成長で止まったままでした。どうして成長が止まったのか、その原因究明にさまざまな検査がなされ、あらゆる治療が講じられましたが、ナンシーは声を出す元気もなく見るに忍びないほど痛々しい姿のままでした。
入院して3カ月がたった頃、担当のナースがドクターに「ナンシーの両親が一度も面会に来ていない」と告げました。スタッフはすぐに両親に連絡し呼び出しましたが、一向に現れません。そこで主治医が両親を訪ねると、両親は共にハーバードのビジネススクールの最終学年生で「今書いている論文に自分たちの将来がかかっているのです。だから今手が離せないのです。とにかく論文を書き上げたら病院に行くので、もう少し待ってください」と言うのです。
病院に戻った主治医は、早速ナンシーのベッドを日当たりの良い、人の行き交う廊下に移し、その上に大きな貼り紙をしてメッセージを書きました。「私はナンシーです。あなたがここを通るとき、もし急いでいるなら『ナンシー』と呼び掛けて、ほほ笑んでください。もしあなたに少しの時間があれば『ナンシー』と呼び掛け、私を抱き上げてください。もっと時間があるなら『ナンシー』と呼び掛け、私を抱き上げ、ほおずりして、あなたの胸の温かさを私に伝えてください。そして私と会話をしてください」
このメッセージを読んだドクターやナースたち、また他の患者たちがそれぞれの都合に合わせて「ナンシー」と呼び掛け、温かなほほ笑みを送り言葉を掛け、抱き上げてやりました。すると3カ月もたった頃、ナンシーの体重は正常な3歳児にほぼ近づき、顔色も健康なバラ色に輝き、かわいい笑顔を浮かべるようになり、言葉も急速に覚えるようになったのです。
ナンシーは優しい言葉を掛けてもらい、抱擁され、愛されることによって初めて生きることができるようになったのです。
実は、ナンシーの姿は私たち人間の姿でもあります。私たちは私たちの魂の親である創造主の語り掛けを聞かなければ、健全な成長は望めないのです。聖書を通して、あなたに語られる神のことばにぜひ耳を傾けてみてください。
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