「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです」(1ペテロ3:3、4)
3歳の女の子がおばあちゃんに聞きました。「神様が、おばあちゃんのことをつくったの?」「そうだよ。だいぶん昔のことだけどね」
「じゃあ、ママや私をつくったのも神様なの?」「そうだよ。ママは少し昔で、あなたはつい最近つくられたんだよ」
それを聞くと、その女の子は自分の顔を鏡に映しながら言いました。「ねぇおばあちゃん、神様って人間つくるのだんだん上手になってきているんだねー」
確かに腰が曲がり、走るのもおぼつかないおばあちゃんや、すぐに「最近顔にシミやしわが増えて困っちゃう」と嘆く母親に比べれば、自分の方がはるかに元気で若々しく「より良い作品」に見えたのでしょう。肉体的なことだけを見るなら人間は誰でも年齢とともに衰え、傷やシミやしわが増えていきます。テレビのコマーシャルでも肉体の健康や表面的な美しさを訴えるものばかりです。
「これを愛飲すれば100歳まで元気でいられます!」「これを塗ればシミやしわが隠れて10歳若く見えます!」
しかし、残念ながら「これを愛飲すれば死ぬまで平安でいられます」というサプリメントや「これを塗れば今日喜んで生活できます」という化粧品はありません。現代人の多くは表面的、肉体的な美しさや健康は追求していても、内面的・精神的な美しさや健康については忘れてしまっているかのようです。
ペテロは「外面的なもの」より「心の中の隠れた人を飾りとしなさい」と勧めています。私たちは外からは見えない内面の美しさ、精神的な高潔さという「隠れた人」を日々成長させたいものです。そして、この「隠れた人」は私たちを造られた神(創造主なる神)との親密な関係の中で成長し、美しく飾られていくのです。
関西学院大学人間福祉学部教授の藤井美和先生は大学卒業後、新聞社で働いていました。ところが入社5年目28歳の時、突然指先の感覚がしびれ3日で全身が麻痺し、入院となりました。
「ギラン・バレー症候群」という病気で、現代の医学では原因も特効的な治療法も分からない、10万人に1人という難病でした。入院した日に呼吸困難になり、このまま死ぬのではないかと思ったそうです。死に直面して28年の人生を振り返ると、後悔の念しか湧いてこず「今まで自分は人のために何かしたことがあっただろうか。一番身近な家族に対してすら何もしていない」。そう考えたとき、「このままでは死ねない」と思ったのです。
クリスチャンホームに生まれ、洗礼も受けていたが「自分は何のために生きてきたのか、自分の人生は何だったのか」そう問い掛けても満足な答えが出てこない。そして泣きながら何度も祈ります。「神様、どうかもう一度いのちを与えてください。そうしたら、今度こそ人のために何かできたと言えるような、喜んで天国に行けるような生き方をしたいのです」
祈りは聞かれました。その晩、呼吸筋の麻痺は奇跡的に止まり、自力で呼吸できるようになりました。翌朝太陽の光を見たとき、思わず涙がポロポロ出てきて「ああ、私は生かされている」と感じたのです。
その後、痛くて苦しいリハビリも積極的に取り組み、手足の麻痺も奇跡的に回復し、5カ月後には杖をついて歩けるようになり退院できたのです。入院中に、多くの患者さんが病気そのものの苦しみとともに心の痛み、苦しみと戦っていることを知り、そういう人たちの助けができる仕事をしたいと考え、30歳で大学に戻り、大学院を出た後、米国ワシントン大学で学び、帰国後母校で教鞭を執っています。
藤井先生は言います。「私は死に直面したことで、あらゆることから自由になりました。天国に持って行けるのは社会的地位や名誉やお金ではなく、心の豊かさだけだと知りました」。藤井先生もまた、自分の中の「隠れた人を飾りと」する生き方の大切さを知る人なのです。
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