「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています」(詩篇139:14)
一人のアメリカインディアンの話です。
彼は幼い時から馬に乗り、馬で狩りをするという生活でした。彼には一つの夢がありました。それは最高級車のキャデラックに一度は乗ってみたいというものでした。しかし、あまりにも高価なので手が出ません。そんな彼に朗報が届きました。彼の所有する土地から石油が出たのです。彼は一夜にして大金持ちです。彼は早速キャデラックを買い、ガソリンを満タンにして車体をピカピカに磨き上げました。
しかし彼は、生涯にただの一度も交通事故を起こすことも、スピード違反で捕まることもなかったのです。その理由は、彼はキャデラックを自分の4頭の馬に引かせて4頭立ての馬車として使ったからです。
これならスピード違反することも、交通事故を起こすこともないわけです。彼は100馬力もある車を4馬力で動かしていたのです。彼の車は最高の技術を結集して作られ、最高の機能を持ち、ガソリンも満タンなのに、エンジンをかけて使われたことがないのです。
ある人の人生は、このキャデラックのようです。神から豊かな才能や能力を与えられていながら、全く活用していないか、ほんの少しだけしか用いていないのです。
一つの短歌を紹介します。
「世のために なりて死にたし 死刑囚の
眼はもらい手も なきかも知れぬ」
この歌は1967年11月2日死刑囚として33歳でこの世を去った歌人の島秋人(しま・あきと)の歌です。彼は小・中学校時代「低脳児」「脳膜炎」とあだ名を付けらればかにされました。小学校5年生の時に国語のテストで0点を取り、先生に足で蹴飛ばされたこともありました。そんなことで性格がひねくれて、非行に走り少年院に入れられました。
そして24歳の時、飢えに耐えかねて農家に押し入り2千円を盗み、争って家の人を殺してしまい、裁判で死刑の判決を受けました。
そんな彼を温かく見守ってくれたのは中学の美術の吉田先生でした。特に先生の奥様は短歌で彼を励ましてくれました。それ以来、島秋人は短歌に魅了され歌作りに精を出します。そして、とうとう1963年に毎日新聞の歌壇賞をもらうほどになります。その時の短歌の選者だった窪田空穂は島秋人のことを『遺愛集』の序文に次のように書いています。
「…(彼の)そうした歌を読むと、頭脳の明晰さ、感性の鋭敏さを思わずにはいられない」
これは実に驚くべき言葉です。かつて「低脳児」「脳膜炎」とやゆされた人が「頭脳明晰」「感性の鋭敏な人」と呼ばれるようになったのです。
神はどんな人にも豊かな才能や能力を与えておられます。島秋人は獄中、聖書を読み、イエス・キリストを自分の救い主と信じ、限られた日々を感謝と喜びのうちに過ごし、その思いを歌にしています。
「主のみ手に すがる外なき 囚われに
冬のさ庭の 陽があたたかし」
神はあなたの中から、どんな可能性を引き出してくださるのでしょうか。
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