高齢化の進む日本では昨年、65歳以上の人口比率が28・7%になりました(厚生労働省資料より)。そして、認知症比率は65歳以上の約16%、80歳代の後半であれば約30%、95歳を過ぎると50%以上に及ぶといわれています。人生100年時代とされる現代社会において、認知症への対応は誰にとっても避けて通れない課題になりました。
認知症の症状には、物忘れなどの記憶障害、時間や場所などの認識が低下する見当識障害、計画を立てて実行することが難しくなる実行機能障害などがあり、個人差もかなりあるようです。
これらの認知症の高齢者を支えるため、今後社会の仕組みを一層充実させる必要があるのは言うまでもありません。しかしそのこと以上に、高齢者を支える介護者自身が十分に整えられ、「善き隣人」として寄り添える力を得てほしいと願っています。
高齢の父に寄り添う
昨年11月、認知症の父(97歳)を介護していた母が急逝したため、母に代わり、長男の私が父と暮らすことになりました。それまで介護の経験もなく、家事も苦手でしたが、周囲の助けを借りながらようやく1年が過ぎようとしています。
当初、父の意味不明な言葉や所作に悩まされ、ストレスを感じたこともありましたが、徐々に父の気持ちを理解できるようになり、なんとか平穏な日々を送れるようになりました。
認知症の父は、情報を正しく理解し処理することができません。そのため、不安になり、興奮したり、不穏な行動を起こしたりすることがあります。
特に、恐怖を与える可能性のある情報には注意が必要です。コロナ禍を伝えるテレビのニュース番組、過激なCM、相撲以外の格闘技中継、ドラマなどは極力避けています。また会話をするときは、目線を合わせ、ほほ笑みながら、できるだけ優しい言葉を使います。
毎日の生活リズムが乱れると体調を崩しやすく、不安が一層募る傾向にあるため、起床、洗面、着替え、トイレ誘導、排泄介助、水分補給、服薬、食事、就寝介助などすべてにわたって心を配っています。
また、起床したとき、食事の前後、床に就くときなど、それぞれの節目に、神様に心を向け、感謝の祈りをささげるようにしています。
喜び、感謝、祈りの満ちる時間
このような介護のすべてを、家族の中の一人だけが担うのは容易なことではありません。核家族化が進んだ現代社会では、家族以外の助けの存在が重要になってきます。厚生労働省の進める地域包括支援の仕組みをできるだけ利用することも大切です。
そしてさらに、介護される高齢者と介護者が共に充実した人生を送るために、共に過ごす時間が祝福に満ちた良い時間になるよう心を配ることが大切です。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。(1テサロニケ5章16~18節)
この聖書の言葉は、どのような状況に遭遇しても祝福された人生を送る秘訣を示していますが、介護の現場には特に大切な言葉のように感じます。
貴重な「善き隣人」の存在
人の心は常に自己中心ですから、弱さを覚える高齢者の重荷を担う気持ちがあっても、自分の力に頼り、共倒れになる危険があります。現実には、喜び、感謝、祈りが満ちる人生には程遠いこともあるでしょう。
どんな場合でも私たちの弱さを担ってくださる「善き隣人」は、究極の弱さである「死」を背負い、「死」に打ち勝ってよみがえったイエス・キリストだけだと聖書は告げています。
この方こそまさしく神。 世々限りなく われらの神。 神は 死を越えて私たちを導かれる。(詩篇48篇14節)
このイエス・キリストにすべてを委ね、彼と共に弱さを抱える高齢者に寄り添うなら、そこにこそ貴重な「善き隣人」の働きが現されることになるでしょう。
父に寄り添うその現場に
今後、父との時間がどれほど残されているかは分かりません。ますます弱くなる父にどこまで寄り添えるか不安は尽きません。
しかし、それでも私が父の傍らに寄り添うなら、その現場に、私の主、イエス・キリストがいつも共におられ、父と私の弱さを担ってくださるでしょう。
どうか、私の心が主に向かい、主を信頼し、私の小さな心を明け渡すことができますように…私以上に父をこよなく愛し、いのちをささげてくださった主が、弱さを抱える私を「善き隣人」として立たせてくださいますように…
今日も祈りつつ、父との良い時間を過ごしたいと思います。
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