「あなたの心を見守れ」(箴言4:23)
ある温泉好きの青年が、休暇を利用して山奥の秘湯に出掛けました。電車の駅に着くと、そこからバスで約1時間の道のりです。田舎道をガタガタと揺られて、やっと着きました。温泉を堪能し、帰り道。バスの時刻表を見ると2時間は来ません。
それでは・・・とバス料金の節約と健康のために電車の駅まで歩くことにしました。しかし30分歩いても1時間歩いても人影はないし、町に近づいている様子も感じられません。不安になって走り出します。ハアハア言って走っていると、やっと一人のおじいさんに出会いました。
「すみません、電車の駅に行きたいのですが・・・」「それだったら、今あんたが走って来た方へ戻りなさい」。この青年は、駅とは反対の方向に向かって一生懸命歩き、走っていたのです。
節約と健康のために歩く。目的地を目指して走る。その動機や行為は美しくても、方向が間違っていれば、すべては無駄に終わってしまいます。私たちの心の姿勢についても同じことが言えます。北海道の遠軽(えんがる)という所に、非行少年たちを受け入れて、正しい道へと教育し直すための施設である北海道家庭学校があります。
初代の校長は留岡幸助というクリスチャンです。5代目の校長は谷昌恒(たに・まさつね)さんです。谷さんの著書『ひとむれ』の中に次のような言葉があり、心に留まりました。「不平不満は病者の心理である」。不平不満を言い始めたら、自分は病気になったのだ、病気になったからこんなことを言うようになったと思ってほしい、という意味の言葉です。さらに「健康な人間はしきりに前進し、事に対してたじろぐことがないのです」と書いてあります。
考えてみれば、不平不満を言っているとき、人は立ち止まっているのです。停滞しているのです。停滞どころか、うっかりすると後戻りしている場合もあるのです。健康な心の人は、絶えず前進し、成長し、たじろぐことがないと谷さんは言うのです。
谷さんは申し分のない環境にいて、これを書かれたわけではありません。むしろ、不平不満を言うのは当然であるかのような環境の中で生まれ育った少年たちを迎えて一緒に生活しながら、そういう少年たちを生んだ社会の不平等に、それこそ、かっかするほど腹を立てながら、怒りを覚えながら、この世界は、この国は間違っていると言いながら、しかし少年たちに教えるのです。
「不平不満は病者の心だ。きみたちがするべきは不平不満を言って立ち止まることではなく、たじろがずに歩み続けることだ」。谷さんは世間から見捨てられてしまったと思い込んですねている少年たちと共に生活をしながら、「きみたちは見捨てられてはいない。きみたちは神様からは決して見捨てられることはないのだ」と語り続けるのです。
私たちも自分の心を一度、点検してみましょう。
◇