「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える」(ヤコブ4:6)
最近は家庭電化製品で「話す家電」があります。冷蔵庫のドアが開け放しになっていると「ドアが開いています」と教えてくれます。お風呂も沸くと「お風呂が沸きました」と言います。カーナビはものすごくおしゃべりです。「おはようございます。今日も安全運転でまいりましょう」。ある女性が「しゃべる体重計」に乗ったら言われたそうです。「ひとりずつお乗りください」
しかし、どうやらしゃべるのは家電だけではないようです。聖書を見ると、イエス・キリストが「石が叫ぶ」と言われました。イエスがロバに乗ってエルサレムの都に入場されたとき、弟子たちが大声で神を賛美してイエスを迎えました。ユダヤ人たちがイエスに「弟子たちを黙らせろ」と言うと、イエスは「もし、この人たちが黙れば石が叫ぶであろう」と言われました。つまり神の計画は誰にも妨げられることなく必ず成就すると言われたのです。
神が一目事を始められたのなら、人は誰も止めることはできません。その時、神に逆らう者は倒され、滅ぼされ、神の御前にへりくだって従う者は祝福を受け、神の恵みの中を歩むことができるのです。神の御前にへりくだるとは、たとえ逆境の中にあっても「神は最善をなされるお方である」と信頼して揺るがないことです。
アメリカ合衆国テキサス州にあるオークヒルズ・チャーチの牧師マックス・ルケード(Max Lucado)は次のような体験を語っています。ある時、2歳になる娘さんとプールで遊んでいたとき、ちょっと目を離した隙に娘さんがプールで溺れたのです。幸いにも友人がいち早く気付いて助けてくれました。
翌朝、祈りの中で「娘の命を救ってくださって感謝します。あなたは何て素晴らしい方でしょう」と言ったとき、神ご自身がはっきりと彼に聞かれたそうです。「もし、おまえの娘が溺れて死んでいたのなら、わたしはそれほど素晴らしくないのか。彼女を天国の私の家に呼び寄せていたら、わたしは善き神ではないのか。彼女を救っていなくても、それでもわたしは今朝おまえから賛美を受けていただろうか」
私たちが苦難や逆境の中にあっても「神は善いお方です。賛美されるべきお方です」とへりくだって告白することを神は求めておられるのです。そして そのような信仰は「神のなさることに間違いはない、神は私たちを愛し最善以外のことは決してなさらない」という神に対する揺るがない信頼から生まれるものです。
◇