「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい」(1テサロニケ5:14)
『ぞうさん』『やぎさんゆうびん』『ふしぎなポケット』。これらは詩人のまど・みちおさん(1909〜2014)の作品です。若い時に台湾の台北の教会で洗礼を受けたクリスチャンです。まど・みちおさんの作品に『おならはえらい』というのがあります。
「でてきたとき きちんと あいさつする せかいじゅうの どこのだれにでも わかることばで・・・」
私たちも「おなら」を見習って「どこのだれにでもわかることばで」話ができたらと思います。ただし「おなら」と「お話」の大きな違いは、「お話」は中身が大切ですが「おなら」は中身が出たらチョッとマズイ!
誰かに対して自分の気持ちを言葉で正確に伝えて理解してもらうということは至難の業です。同様に他人の語った言葉のその真意まで正確に理解することも、これまた不可能と言ってもよいでしょう。
しかし、私たちは豊かな人間関係を築き上げていくために、できるだけ相手の言葉の真意をくみ取る必要があります。そうは言っても、相手の言葉を理解するというのはなかなか難しいものです。相手の言葉を理解するために、少なくとも次の4つのことが必要です。
- 相手が語った言葉を理解する。
- 相手の言葉と同時に、相手の気持ちを理解する(表情や、仕草を読み取ることによって)。
- 何を言おうとしているのか、その意図を理解する(同情や支持を求めているのか、説得しようとしているのか、など)。
- 背景にある状況を理解する。
私たちはともすると日常生活において、相手の言葉だけにとらわれて、言葉を理解することで相手を理解したと考えてしまう過ちをよく犯すのではないでしょうか。
作家の阿部光子さんは、こんな話を書いています。ある夫人の隣の家の若いお嫁さんがある日、血相を変えて飛んできて、90歳近いその家の姑がぼけてきて、この頃、夕食が済むと馬が入ってくるので追っ払ってと悲鳴を上げて困ると訴えてきたのです。「でも、現に馬が入って来るのが見えたんだから、追っ払ってあげなくちゃ」と言っても、その若いお嫁さんは、そんなバカバカしい真似は自分にはできない、と言うのです。
「ようございます。私がやってあげましょう」というわけで、その夫人は夕食の終わる頃を見計らって隣家に行きました。
すると、果たしてお姑さんはうなされたような声で「馬が来るぅ・・・、追っ払ってぇ・・・」と、悲鳴を上げています。すわっ!と、飛び上がった夫人はほうきを片手に、お姑さんの部屋に駆け込んで「まあ、これはいけません、シッシッ、出て行け」とほうきを振り回して馬を追い出すふりをしました。それから雨戸を閉め、桟もしっかり下ろし「さっ、ご隠居さん。ゆっくりお休みなさいまし、馬は追い出しました」と、ニッコリ。「ありがとう」とお姑さんはホッとした様子で、スヤスヤと眠りにおちたのです。というお話です。
まるで落語に出てくるような笑い話ですが、実際にあった話だそうです。この夫人がとった態度には、相手の立場に立って理解するという共感の姿勢が見られます。そして、そのような相手の経験が分かった上で、相手のあるがままを受容して対応しています。
相手が「見ている」現象(馬)を、自分も「見て」(馬を見ていると錯覚している相手を理解すること)、それを受け入れ、そしてお姑さんが必要としている援助の手を差し伸べているのです。ここまで理解して、初めて相手の言葉を理解したと言えるのではないでしょうか。
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