「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう」(創世記12:3)
ユダヤ人を毛嫌いしている男が、道でユダヤ人の男とすれ違ったときに「豚野郎!」と罵声を浴びせました。すると、そのユダヤ人の男は「コーヘン」と自分の名前を叫びました。
それを見ていたコーヘンの友人が彼に言いました。「おまえはあんな侮辱を受けたのに何で自分の名前なんか叫んでいるんだ?」 するとコーヘンは平然と答えました。「彼が突然自己紹介してきたので、オレも慌てて自己紹介したまでのことさ」
ユダヤ人はAD70年にローマによって国を追われ、世界中に散らされていきました。そして、それぞれの地で想像を絶する迫害を受けてきました。その苦しみを少しでも和らげる手段として、笑い、ユーモア、ジョークを用いたのです。
ユダヤ人のことわざの一つに「腹がへったら歌え、悲しいときは笑え」というのがあります。近年欧州や米国を中心に再び「反ユダヤ主義」が高まってきています。こんな時だからこそ、もう一度「アブラハム契約」を覚えたいものです。
主なる神は、ユダヤ人を祝福する者を祝福し、呪う者を呪われる方です。日本人とユダヤ人の関わりについて一つの有名な出来事があります。ナチスドイツによるユダヤ人迫害が激しくなっていた頃、ナチスに追われて逃げてきた人々がリトアニアにたくさんいました。彼らは米国や南米を目指していましたが、そのためには日本を経由する必要がありました。彼らは日本通過ビザを求めてリトアニアの日本領事館に殺到しました。
領事代理の杉原千畝は日本の外務省の命令に反し、独断でビザを発給します。このビザを持ったユダヤ人難民はシベリヤ鉄道でウラジオストクに到着します。しかし、この時日本の外務省から杉原が発給したビザは無効という命令が届いていました。ですが、ウラジオストクの領事代理の根井三郎は「杉原のビザを退ける理由はない」と言って通過を許可します。この時の根井の英断がなければ、杉原のビザは無駄になっていたはずです。
そして、ユダヤ難民は福井県敦賀に着き、神戸からそれぞれ目的地へ渡っていったのです。日本滞在中、日本のクリスチャンたちが親身になって彼らの世話をしました。杉原や根井などの外交官だけでなく、当時の軍部にもユダヤ人を保護し、救助した人々がいました。
1938(昭和13)年3月8日、ナチスの迫害から逃れた大量のユダヤ人がシベリヤ鉄道でやってきて、ソ連のオトポールで吹雪の中で立ち往生しているというニュースが、当時の満洲国のハルピン特務機関長、樋口季一郎少将の元に届きます。
ハルピンのユダヤ人協会会長のカウフマン博士から救助願いが出され、樋口は悩みますが部下の安江仙弘大佐と共にユダヤ難民を救助する決断をします。そして、難民を特別列車でハルピンまで送ります。それに対してナチスドイツのリッペントロップ外相から猛烈な抗議がありました。樋口は当時の関東軍参謀長の東条英機中将に呼び出されます。樋口は東条に解任覚悟で堂々と談判します。
「参謀長、日本人は昔から義をもって弱きを助ける気質を持っています。ドイツのユダヤ人迫害は人道上の敵ともいえる国策です。日本はドイツと友好親善を望みますが、日本はドイツの属国ではありません。参謀長、ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめをすることを正しいとお思いですか」
東条はじっと聞いていて「樋口君、よく分かった。ちゃんと筋が通っている。私からも中央に対してこの問題は不問に付すように伝えておこう」と言ってくれたのです。「アブラハム契約」の内容を考えるとき、太平洋戦争中に日本の外交官や軍人や一般人たちがユダヤ人に対して示した温情と、戦後の日本の復興と繁栄は決して無関係ではないと思えるのです。
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