1. 人のせいにする
多くの問題の原因は人間関係のもつれにある。もつれた結果を相手のせいにすると、その人を恨み続けてしまう。こうして否定的な思いにとらわれていると、すべての物事が否定的に思われ、家族や他の人との関係もうまくいかなくなり、自分の心も体も病んでいく。
Aさんは病気を治療するために医師の手術を受けたが、軽い後遺症が出てしまった。彼は毎週その病院に通い担当医を責め立てた。法外な慰謝料を請求した上、「お前のせいでこんなひどい目にあっているんだ。手術して元に戻せ!」と、周りに聞こえるほどの大声で叫ぶ。困りはてた医師は、恐喝と営業妨害の容疑で警察に通報し、彼を現行犯で逮捕してもらった。
Aさんは、突然の逮捕に激高し、「あのやぶ医者が悪いのに、被害者である俺をなぜ捕まえるんだ!」と抵抗して、警察官に暴力を振るう。警察は精神病院に通報して彼を強制措置入院させた。2カ月の間、彼は手足をベッドに縛られて薬物治療を受け、鉄格子のある一人部屋に閉じ込められる。
退院後はますますその医師を恨み、警察に告訴したが、もちろん受理されなかった。夫婦関係も悪くなり離婚。会社でトラブルを起こして解雇。その後はコンビニで働いていたが、医師に対する根深い恨みの憂さ晴らしから、店の品物を何度か万引して逮捕され、有罪判決を受ける。さらに、恨みによる精神的ストレスでさまざまな病気を発症し、障害者2級に認定された。
「医者も、警察も、検事も、裁判官も、弁護士も、ろくなやつはいない。どいつもこいつも、強い者を助けるだけで、弱い者をいじめているんだ! 一生呪ってやる!」というのが口癖だ。
2. 人のせいにしない
Bさんは、相手の過失による交通事故で瀕死の重傷を負い、障害者1級に認定される。その後、真面目に働いて事業に成功し、若くして大きな財産を築いた。若手起業家たちに成功してほしいと思い、起業家セミナーを開いたり、資金援助をしたりして、具体的に指導した。ところが、起業しても実際に成功するのは至難の業で、ほぼ全員が失敗したため、Bさんは全財産を失ってしまう。
さらに運が悪いことに、詐欺師にだまされ多額の借財を負う。詐欺の訴訟を依頼されたときに、私がクリスチャンであることを証ししたところ、彼はその場でキリストを信じて救われた。
その後、彼と結婚を約束して付き合っていた女性が、金持ちの男に誘惑されて子どもができてしまった。彼女は結婚を迫ったが、その男は既婚者だった。仕方なく、生まれたばかりの赤ん坊を連れてBさんの元に戻った。彼は何も言わずに、彼女と結婚し、その子を自分の養子にしてかわいがっている。彼は、事故の加害者、失敗した若手起業家たち、だました詐欺師、浮気した婚約者の誰をも恨んでいない。
「どうして人を恨まないのですか?」と尋ねると、「いやあ、すべては自分の不徳の致すところですよ。自分の成長のために良い人生勉強をさせてもらったと思い、すべての出来事を神様に感謝しています」と言う。そして「ありがたいことに、自分が困ったときは、そのうわさを聞きつけて、かつて面倒みた起業家たちが助けにきてくれるんですよ。それに、妻はこんな至らない自分によく尽くしてくれています」と感謝しつつ、障害を持ちながらも、明るく元気で働いている。
どちらの人生が豊かだろうか。もちろんBさんのだ。物事を人のせいにして自分の幸せを奪われないことが大切である。
「愛は・・・恨みを抱かない」(1コリント13:5)
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